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  映像研究

雑誌を買うことで何かを考えたような気になっているか

 
・仕事の帰りにブックファーストを覗いて雑誌を何冊か買ってみました。


BRUTUS 6/15『大松本論』
映画公開に合わせた松本人志特集。表紙のラインナップだけでもうかなりお腹いっぱいですが、「ごっつ」のDVDをコンプリートしているようなぼくは、BRUTUS的には世代的にもど真ん中の「松本チルドレン」ということになるのですね。ボリューミーな企画の中でも、田中功起、片岡真美、中ザワヒデキの「お題:松本人志をアートに置き換えよ」が、時に馬鹿馬鹿しいような置き換えを必要以上に真面目に(?)論じていて、メタな視点で面白かったと思います。


広告批評 NO.315 『特集 日本映画は今』
表紙はこっちも松本人志大日本人』で、そのプローモーション度数も高めながら、山下敦弘タナダユキのインタビューも面白そうだったので。ペラ一枚の速報は「おめでとう、河瀬直美監督!」ということで、こういう旬なニュースをたたみかけてくる系の雑誌にはきわめて弱い僕です。そして巻頭の橋本治の連載「ああでもなく、こうでもなく」は『「日本国憲法」を考える』から始まる「憲法改正問題」(という問題を相対化する試み)についての、エッセー。相変わらずの、この「どこにも行き着かない思考」それ自体が、本来的な意味での「広告」への「批評」でしかありえない、と思ったりする。


・旬がまるごと「まぐろ」
ああ、こういう切り口があったのかぁ…と思わされる創刊号。次号の「トマト」が楽しみ。



・そして帰宅して買った雑誌を読むかというとそうでもなく(事務所に持っていくのでした)、それとは別になぜか最近、家で読む用に、詩集というものを買いまくっているのです。なぜか…というかそれは「某大型古書チェーン荻窪店の詩集の棚が全部200円だから」ということなんだけど。思潮社のものとか、とにかく何でも200円なので。恐らくいつか振り返ったとき、今が人生で一番(詩集を)買っていたなぁと、本棚を見つめて思うのだろう。


宇宙鏡―高市順一郎詩集高市順一郎
二人、あるいは国境の歌守中高明
家庭生活」秋山基夫
回転子」高谷和幸
「微笑する月」最匠展子
入江にて」近藤礼 などなど


そしてそれは、別に詩が大好きで大好きでしょうがないわけではなく、よく意味が分からない言葉が書いてあるものなら何だって良いのだ。テレビを見る代わりに、テレビから時事ネタだけをすっぽり抜き去ったようなものが必要なのです。びっしり文字が書いてあるけど、その一文たりとも全く実用的でなく、なんならちょっと不愉快になる、そんなものを読ませてくれ、というような気分なのだ。だから一応立ち読みでパラパラして(片っ端から買うわけではない)、よく意味がわからなそうなものから順に買っていくことになる。そうすると買うことになるものは結果的に割合新しいものになるので、これは「現代的なもの」ということになるのだろうか、と考える。「現代的なもの」と「意味が分からないもの」との間に何か関係があるとして、その関係を意味が分かるように説明してみようかとも思うけど、そんなことはどうでもいいような気がしたのでやめる。


・「現代」とはこの場合関係がなく、「詩」は「自由」と関係があるのだと、ふと考える。