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  映像研究

現代の美術とマンガ、アニメーションは知りません

 
松井みどりアート:“芸術”が終わった後の“アート” (カルチャー・スタディーズ)』を読み終える。マイクロポップ精読、そんなような言い訳で読み始めてみたものの、1980〜1990年代の現代美術クロニクルとしては、格段にわかりやすくその変遷がまとまっていて、気がつけばペーパーバックの本はドッグイアだらけ(折りすぎてほとんど意味をなしていない)だったというはなし。特にジェフ・クーンズとか、マイク・ケリーとかは名前と作品は知っていたものの、それがどういう流れの中で(主に「何の反動として」)現れたのか、あるいは作家自身がその文脈を意識しきっていないにしても、「現代美術」の歴史の中で、どういう位置づけにあるのか、といったようなことはかなりぼんやりしていたので、この本のおかげでかなりクリアになった気がしてます。


・しかし。この本を読みつつ考えていると、色んな人が口々に「あれは終わった」「これは終わった」と言い合ったり、その中で「終わった、とか言うのは終わった」とか言う人も出てきたり、どうしようもなくなって白痴の振りをする人がいたり、限りなく本物に近い白痴っぽい人を色んなところから沢山連れてきてオーガナイズしてみたり。あるいはまた、お金を燃やしてみたり。選挙に出馬してみたり? 何もしないと大声で宣言してみたり。現代の美術というものは、なんて忙しいのだろうかと思う。


・「制御不能なくらい全てのものが暴力的にリンクされてる」のが00年代の表現の主流のモードだとしたら、そういう状況となだらかにつながっている今現在は、「あらゆるものが、適当に、何の脈絡もなく、リンクされたり、リンクされなかったりするよう」なイメージだ。例えば長尾謙一郎という人の『ギャラクシー銀座』とか『ヤバイ』とかは、何となく笑うためのマンガのような気がしているけど、もう全く笑えない、それはたぶんちょっと別の、現代の、何かなのだと思う。


・そしてそんな中、個人的にはおおひなたごうヤンジャンの『犬のジュース屋さんZ』に期待です。