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  映像研究

記録

・後から書いておく記録。9:30から19:30までが光の速度で消えた。業務のイベントの一日。意識を切り替えながら色々な仕事をする。衣料品のことを気にしながら生活をしているのは、暖かい気候のせいか、それとも書く作業を中心とした生活から離れたことによるのか。日々出会う友人や知人の装いも気になる。業務上多少ちゃんとして見えるジャケットが欲しいがいつもその場凌ぎのような買い物を繰り返し結局ジャケットと仲良くなれないままに年齢だけが増えていくのか、と春になる毎に同じ言葉を発している。昨日はアナトミカのサーマルの上に無印良品のしゃかしゃかした黒いジャケットを羽織ってみた。古着のベイカーパンツにウェストンのゴルフ。今日はサンリミットの白いシャツの上にユニクロのベージュのカーディガンを羽織ってみる。コムデギャルソンのパンツにウェストンのゴルフ。きつくなってきて業務の途中でリュックに忍ばせたオーロラシューズに履き替える。たとえば、食べたものを書き留めておくことが記録として蓄積されると面白いように、このように、日々身につけているものを純粋に書き留めておくことも蓄積されたものを読み返せば自分にとってきっと面白いのだろうが、継続することはおそらく困難でもあると思う。そういえば、ある時期のダイアリーでは、定期的に所有している衣料品をすべて箇条書きしていた。特定の方法でしか描き出すことのできない生活史がある、とも考える。日記はそのようなルールすら設けない、あるいは設けたルールに飽きたならば、その飽きた事実も含めて残されるという側面がある。そして継続することは記録するためだけでなく、継続それ自体が、人にある姿勢を育てる。育ちゆくことが目に見える季節に、目に見えさらに触れられる衣料品のことを考え、そして目に見えないことを考えている。人の内側でうごめくものについて思う。人の内側で変化するものを、その変化の方向を、感じ取りたい。

特別な記号

・記録を書いておく。土曜日は午後から業務。ラボに写真のプリントをお願いしていたから、午前にそれを取りに行き、この数日でその写真を方々に配り、などと考えつつ途中まで向かい(最寄り駅まで)、しかしそのラボは土曜が定休日であったことを思い出した。うっかりしている。新宿で少し春物衣料を見るなどしたのち職場へ。よく行く蕎麦屋で今年はじめて冷たい蕎麦を食べた。そういえば熱いお茶を入れた水筒を手放して冷たい水を入れたペットボトルを持ち歩いている。

 

・冷えた空気から身を守る体勢が、気がつけば蓄えられた熱を適切に逃がす体勢に移り変わっている。その変化に意識を向けることもある。

 

・ところで、流れ去る時間の中で「311」という数字の並びは特別な記号として残る。特別な記号は自分の実存と関わる。自分の生活や考えを考え直す出来事が、生きている間にどれほどあるだろうか。自分の場合は、その一つが2011年3月11日(以降)の、一連の/諸々の出来事だった。大きく地面が揺れることをきっかけにして、それ以前とそれ以後で決定的に変化をした。ときどき、その点に立ち返り、現在までの時間をたどり直すことをする。ときどき、もしもそれが起こらなかったならば、自分は今どこで何をしているのだろうか、と考えることがあるが、まったく想像ができない。

 

・14:46も特別な記号としてあった。たとえば中央図書館で作業をしていたならば、館内にアナウンスが入り黙祷をしていた。今日は慌ただしくそれ自体は瑣末な業務に追われているうちに、その特別な時間は過ぎていた。そして、こうして、書くことで思い出している。

10年後

・ある時間から10年後の現在を記録しておく。3月10日は入籍をした日で、それは10年前の今日だった。「啓蟄も良いかも」と相談していたが色々な事情から3月10日になったことを辛うじて記憶している。数年書いていた(そして脱落した)「10年メモ」を探し出せばその一日がどのような日だったのか記されているこもしれない。新居への引越しと新年度の準備と友人たちと計画していたイベントの準備とで慌ただしく過ごしていたのではないか。新居が建つ周囲の雰囲気を、春の空気とともに確かに覚えている。今はもうない建築や今はもういない人を思い、それ自体実体のない時間を思う。

 

・10年後の今日は、午前中に製本した論文をお世話になった方に郵送して、午後は先月末に続き友人の新居の壁を塗る作業を手伝いに行く。このようにして、さまざまに変化をし続けながらも、あり続ける物事や関係性があると思いながら、新しい空間が生まれることを感じていた。作業の合間にお茶を飲み団子を食べれば、それはこの10年のある側面が圧縮された瞬間とも思える。日々手伝いに集まる人たちの近況を伝え聞けば、それぞれに新しい時間に向けて動いていることを知る。それを知り、焦ることはなく、同じ時間を生きているのだなと思う。限られた時間を共有している。

 

・作業を終えて少し時間があったから町の銭湯を紹介してもらう。汗を流して電車とバスを乗り継ぎ、途中で家族と合流して最寄駅まで。予約していた近所のお店から電話を貰い急いで向かう。鰆の刺身、山菜の天ぷら、蛤の酒蒸し、食べたかったものが全部食べられた幸福。それを無心で食べながら、しかし思い返せば褒美のような食事だと思う。何かを褒美と感じたならば、それをさまざまな形で齎した他者に思いをめぐらせる。

出来事

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・後から書いておく初夏のような気候。数日ぶりに休日。午前中はメール連絡。連絡をしたかった方に連絡ができ、月末にアポイントメントが取れたことが今日の一番重要な出来事。それを確認して昼にカレーを食べ外出し新宿へ。キンコーズでプリントアウト。月末の式典のためにスーツを購入する。「あつらえる」ことは実現できずやはり「急場凌ぎ」になったことも仕方がない。それでも許される条件の中で最大の選択をした。その後ギフトを探して伊勢丹周辺を散策してほどなく帰宅。タイムラインに流れてきた広告に教えられてポパイの新しい号を購入した。