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  映像研究

台風がやってきた期間の備忘録

 
・夏の初めに複雑な動きをするゆっくりとした台風がやってくるような期間の備忘録。ようやくこの夏の業務の全貌が見えてきて少し恐ろしい備忘録。夏を基準にして一年を繰り返しているような感覚があるのだけれども、その夏ごとに、違うところ、同じところ、聴いている音楽、ずっと着ているTシャツ、久しぶりに引っ張りだしてみたポロシャツ、その部分と部分同士の組み合わせは無限に近いヴァリエーションで、だからいつでもそれは新しい。



むしろ「同じ事」を繰り返そうとしているのに、それが、いつでも、少しずつ、ずれている。そしてそれは(前にも備忘録したような気がするけど、忘れた)ずれて「いる」、というよりも、ずれて「いく」。モデルとしての中心、ひな形のような「夏の過ごし方」はなくて、毎年繰り返されるたびに、何かに引き寄せられる力と、何かに反発する力の関係なのか、どうなのか、中心ごと、考えている場所ごと、移動しているように感じる。そして回転し続けているようにも感じる。回転しながら移動しているのは台風。



・本を読んだり移動したり空を見たりしているうちにうっかり過ぎ去ってしまった6月と7月の友達の誕生日会をしよう、今からでも遅くないからしよう、ということで、何か面白いプレゼントを買いに伊勢丹の5階フロアに繰り出したりするアフター・スクール。面白いプレゼントを購入した後、TMさんと近況について話しつつ某カレーで飲食。『すいか』の基子さん(小林聡美)に限りなく近い設定で一人暮らしを始めるTMさんの近況から考える「生活と学び」について。誰もが誰か自分の生活をマネージメント(やりくり)していることの不思議さ、面白さ、そして少しの不安について。



・あるいはまた、どういう話の流れだか、少し前に自分が考えていた「物語」についての話題。TMさんに「あなたが批判している意味での『物語』は、本来の意味での物語の可能性を非常に低く見積もった形式でしかないので、そのような批判は少し違ってるのではないでしょうか」という意味のことを言われた。そうなんだよね。というか、多分そうなんだと思うんだよね。でも優先順位をつけるとどうしても「ドストエフスキー」とかよりも「ベルクソン」とかの方が上に積まれているので、それを手にしてしまう、という話。主に「多様性」について話をしていた。



・それでそのプレゼントを渡すのは木曜日の夜。約10日間の熊本視察から(台風の中)帰ってきたT夫妻を労いつつ高尾に集合するのは山部。「チリコンカン(チリと肉)」を食べながら、季節の始まりと終わりを感じながら楽しく飲食。話はどうしたって「東京で生活することと、東京以外の場所で生活すること」になるのだが、そういう事柄を話すときの、友達のそれぞれの感じが何か良かった。良い夜だった。シャッター商店街とロードサイドのショッピング・モールについて。大河ドラマのような恋路について。モンキービジネスの小沢健二について。



・そしてまた思いつきでT夫妻にxactiを渡したところ、楽しくも意味のあるドキュメントを持ち帰ってくれたので、夏の真ん中くらいにみんなでそれを鑑賞する集まりできたら面白そうだな、と思う今日この頃。会話がうまいなぁとか、物事の良い部分を捉まえるなぁと思うような友達が撮るドキュメントは大体良い。その人が見た物や事が伝わる。そういう映像のことについても考える夏。