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  映像研究

再び銀座/アフターMT/MMのあとに考える①

 
・27時から33時まで睡眠して起床。まだからだに花火の映像と音、そして深夜の長距離ドライブ特有の興奮が残っている朝。今日も快晴。12月の第一土曜日。実家の車が昼過ぎに銀座に行くというので乗っけてもらう。木曜日につづいての銀座。オフィス・レディで実家住まいの妹は車が青梅街道を走ってる間じゅう「ここどこ?荻窪?住みたーい」「ここ中野坂上?超住みたーい」「市ヶ谷超住みたーい」と言い続けていた。「住みたい」がマイ・ブームのようであったが、さすがに皇居が見えてからは「住みたい」とは言わなくなったので安心(?)する。正月以外でそのようなシチュエーションがまず無いので新鮮である家族の風景の備忘録。関係ないけど皇居の周りには「走る人」が沢山いた。高尾駅前に「登る人」がいるのと同じようである。なおも晴れ。



・住みたい/車/家族/皇居/オフィス・レディ/銀座/マイ・ブーム/「走る人」と「登る人」



・フェスティヴァルから早くも一週間が過ぎて、通称「フェスティヴァル後の世界」を生きる私について。何かが違うのだけれどもそれを的確にまとめることができないでいる今。来週のどこかでは「呼びかけ人」をはじめ数人で「アフターMT」なる反省会(反省をするのかどうかも含めて考えてみる会、略して「反省会」)をする予定なのだけれども、今ならば、自分は何か非常に「変なこと」を言い出し兼ねない予感でいっぱいなのでやや不安。なんだか焦っているのだ。ざっくりとやりたいことがありすぎて焦っている。(ざっくりとやりたいこと/ざっくりと焦っている)しかも可能なかぎりに、D.I.YというかD.I.M(DO IT MYSELF)でやりたいことこの上ない。



・(いつよりも完全に自分のための備忘録/いくつかの問題の設定、差し当たって4つの)



・(自分は)過去10年に渡って「チームを作ること」から何かを発想して、何かを始めてきた、ということにはまったく間違いが無い。そのことによって「ひとりでは出来ないこと」が沢山できたし、そもそも「始める」ことができたのは、その「チームなるもの」のおかげであったのだった。そして(自分なりに)色々なことをやってきて、今考えることは、その「チームを作ること」「チームを作って何かをクリエイションすること」はとても自然なことであると同時に、誰もが(それぞれの程度で)そのことをちゃんと(ある程度は)意識している、ということである。だからそのこと自体は良いのだ。これからもきっといろいろな場所で、いろいろなチームを作りながら、いろいろな何かをするのだろうと予想されるし、そうしたいとも思う。そして、しかし、そのことはさておいて、では「ひとりでやること」とはどういうことかという問題の設定をしたい。



・「磁場」が大切だと思い、「グルーヴ」が重要であると考え、あるコミュニティが盛り上がることを本当に面白いと思う。その盛り上がりはときに「祭」になり、「フェスティヴァル」になる。それで、しかし、でも、では「文化」とか「活動」とは、本当に、本当は、何なのだろうかという問題の設定をしたい。



・いわゆる「カルチャー」と言われるもの、といったときに人はどのような物、メディア、あるいは「範囲」を思い浮かべるのか。同様にいわゆる「政治的な○○」と言われるもの、といったときには?いわゆる「メッセージ」とは?…などなど。///届けるべき人に向けて、届けるべき内容を、届ける、そのためにすべき方法を考える。不特定多数の人に「知られる」ことと、ひとりの人を「動かす(という言葉が乱暴であれば「考えるきっかけを与える」)こととは、どちらが効率的であるのか?(という問いかけは、つまり後者の可能性を強く感じているということです)…などなど。もしも、誰かと何かをやるのならば、メッセージの方法についての共通の認識を持つべきかもしれないという問題の設定もしたい。そのことについて考えるのはわりに面白そうである。



・「倫理」と「おもしろい」のバッティングについて。どうするかという問題の設定。