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  映像研究

5月にあって肌寒く雨が降る日々(時間と空間)の記録と提案

 
・天気予報をわりと見ていた一週間。天気予報をわりと見ていたのは、山登りをするから、ではなくて今週は事務所・引っ越し第二弾、だったもので、雨の日に引っ越しをするということは、雨の日に山登りをするということ以上に、その行為にとって適当ではないと思う。27日、29日と旧・渋谷事務所の片付け、引っ越し、引き渡しはあっという間に過ぎ、しかしながらその合間をぬって何とか今月中に…と思っていた私的オモロ・プランは残念ながら具体化できそうもない。


・あるいはまた残念ながらつながりでいうならば、28日下北沢アレイホールの、姜泰煥×高橋悠治×田中泯による公演も、とても、かなり、それ相応に、必要以上に、楽しみにしていたのだけれども、その日自分は「報道番組を一日中エアチェックしなければいけない」というよくわからない苦行を己に課してしまったことによって(そして自宅にはテレビがない/から実家でその作業をしていた/自分はやや不審な平日の昼間をすごす人間だ)、全然辿り着くことができなかったので、インター・ネット上に、その公演は一体どのようなものだったのか、という情報を探したりもする。そしてそういう時間はあるのだなと思ったりもする。


・つまりこれは決して「時間が足りない」ということではもちろん全然まったくなくて、あくまでも、いわゆるひとつのスケジューリングの問題、あるいはそれは時間よりもむしろ空間の問題だ。実際昨日はというと「引っ越しお疲れさま会」までには相当に暇な時間があったため、思いついてとても久しぶりに中目黒「ほにゃほにゃリサーチ」と「買うブックス」周辺を散策したりしなかったりした(しかしそれらのお店にはびっくりするほど特に欲しいものがなかった/ので帰りがけに立ち寄ったブック・オフで「現代詩手帖」「at」「岳山」を購入して、書籍を購入したい欲を落ち着けました)。


・「もうひとまわり広い部屋に住むことによっていろいろ解決するのではないかな?」「とりあえず本棚を買えばよいのではないかな?」あるいは「おとなしくテレビを買うというのはどうだろうか?」、そのような各種提案はおおむねその通りなのだけれども、自分には自分の生活の事情が、貨幣と関係のないレベルで、ものすごく些細なことに関して、かなり明確にあったりもするということは、厄介なこと、では決してなくて、むしろまったく完全に面白いことだという、そのような「ライフスタイルを提案」しているのです、多分。