&

  映像研究

ゴールド・セイントからドラゴン・ボールへ

 
・先日の土曜日は職場の元・同僚のベルリン留学を祝しての宴。新宿東口の隠れ家イタリアンで厳かにスタートしたフェスティヴァルは仕事帰りのあらゆるメンバーを巻き込み、西口の大衆酒場「ノース・ファミリー」で朝を迎える。ちなみにお餞別にと渡したのは、数日前に記した通りの完全なお洒落和小物「イーリー・キシモトの『FU・RO・SHI・KI』に加えて「J-POPの極みとしてのipod shuffle in 2008 ver.1.0」。


安室奈美恵『Baby Don't Cry』から由紀さおり『夜明けのスキャット』までをシャッフル、あるいは宇多田ヒカルHEART STATION』から青い三角定規太陽がくれた季節』までもシャッフル。Jの世界は広いのだとつくづく思いつつも、SMAPDear WOMAN』の「よ・う・こ・そ・日本へ〜」はちょっと違ったかもしれないと思う。なぜならばドイツに留学することは「ようこそ」とも「日本へ」とも全く関係がないからだ。


・そして、直接一緒に働いていない人もいたりするにも関わらずこのように集う私たちのフェスティヴァル感を称して、コピー・ライティング的センスに長けた、こちらも元・同僚は、かつてそれを「ゴールド・セイント」と名指したけれども、今回の私たちは今や「ドラゴン・ボール」であると言う。曰く「世界に散らばった私たちが次に全員がそろうときには、願い事が叶うのだ」と。それはとても夢のあるコピー・ライティングだ。そしてそんな生粋のジャンプ黄金期世代(?)もすっかり大人になり、今や自らが「セイント」だったり「ボール」だったりするのだから、これは大変感慨深いことなんじゃないかと思いつつも、明けて日曜は業務だったものだから、小雨降る中「なんちゃらカフェ」に移動して数時間の仮眠、そしてその後出勤した備忘録。