・一つの月が終われば時間が区切れたように感じる。それは錯覚であり確かな単位でもある。連休期間を挟んでひと月前には何を考えていたのかと思う程度にこの一ヶ月は慌ただしくかつ変化の時間だったかもしれない。
・勉強を手放さないこと、そしてこの勉強は純粋に自分の関心に基づくものであること、さらにつねに考えていなければあっという間に消えてしまうこと、自分の信じる気持ちを賭けなければ何も定着しないこと、などが分かった。一人の時間の多くは自分が自分を説得し続けている。この選択は間違いでないと。
・5月最後の日曜日は業務。同僚とともに映像をつくる授業のプログラムを考えて実施してみた。自分は学びのプログラムをつくる側だけれども、だけれどもというかだからこそ、自分が誰よりも学んでいる。これは毎回。人の表情が以前よりも見えるようになったと感じる。過信は禁物、けれども蓄積することは確かにある。
・帰宅して家族と夕食。明日は一ヶ月ぶりくらいに何も予定を入れずに過ごすから、力を抜いてするするお酒を飲む。よなよなエールからのてぐみ、そしてグレグレグレープへ。これが生の時間の真ん中くらいならば良いのに、と思う。