・暖かくなったので山のことを考えている。窓を開けると見える山。電車から見える山。写真の中の山。「山」という言葉。広い場所と足下から萌えたつ匂いを思いながら、日々色々な本を買ったりしている。手に触れる紙や布のことも考えている。Tシャツを着るときの腕をとおすかんじや、ツルツルした雑誌の写真の中に映ったTシャツのパリパリした質感を想像してドキドキしている。もう初夏ですね。
- 『白土三平 野外手帳 (小学館ライブラリー―OUTDOOR EDITION)』白土三平
- 『森の聖者―自然保護の父ジョン・ミューア (小学館ライブラリー)』加藤則芳
- 『平野甲賀「装丁」術・好きな本のかたち (シリーズ日常術 2)』平野甲賀
- 『もしインターネットが世界を変えるとしたら』粉川哲夫
- 『山岳展望ハンドブック〈2〉』佐古清隆
- 『住みやすい町の条件―下町と山の手』小林和夫編
- 『百合子さんは何色―武田百合子への旅』村松友視
- 『Ms.ハンソンのうろちょろエッセイ』イーデス・ハンソン
- 『笑う住宅』石山修武
- 『子どもにもらった愉快な時間』杉山亮
- 『日本の自然』串田孫一
- 『森を楽しむ山登り―木を見て森を見て山を知る (YAMA BOOKS)』松倉一夫
- 『紙芝居は楽しいぞ! (岩波ジュニア新書)』鈴木常勝
- 『アマゾンで地球環境を考える (岩波ジュニア新書 (516))』西沢利栄
- 『ビデオ・レッスン―撮り方・楽しみ方 (岩波ジュニア新書)』渡辺浩
- 『自然を傷つけない山登り―登山者のための自然保護入門 (YAMA BOOKS)』豊田和弘:文/渡辺隆司:絵
- 『フリークライミングのススメ―スポーツ感覚で楽しめる岩登り (Yama books (17))』北山真:文/中村みつを:絵
- 『体験的野外生活技術―自然が教えてくれた実践フィールド学 (YAMA BOOKS)』細田充:文/久保田鉄:絵
- 『キャンプで逢いましょう』田中律子
- 『ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)』竹内敏晴
- 『お電話倶楽部 (ちくま文庫)』舟崎克彦:文/林恭三:絵
- 『INTRODUCING カルチュラル・スタディーズ』ジャウディン・サンダー+ボリン・ヴァン・ルーン/毛利嘉孝+小野俊彦訳
- 『パリ・コレクション―モードの生成・モードの費消 (講談社現代新書)』深井晃子
- 『難解な絵本 (角川文庫―ニュースタンダード・コレクション)』いとうせいこう
- 『日用品としての芸術―使う人の立場から (1979年)』横山貞子
- 『未知の国すばらしい人たち―カメラマン世界取材日記 (岩波ジュニア新書 59)』田沼武能
- 『芸術の生活化―モリス、ブレイク、かたちの可能性』岡田隆彦
- 『地球の子供たちのノート (1976年)』
- 『山に行く心―全エッセイ3 (1980年)』古井由吉
- 『散文 (1972年)』谷川俊太郎
- 『ヒッピー・ハッピー・ハット (BEST CHOICE crew)』ジャン・マーク/久慈美貴訳
・暖かくなったので山のことが載っている雑誌が本屋には沢山並べられている(ように思います。思いませんか?)。中には「君登る気ないよね?」みたいなパフォーマティヴな雑誌や特集もあるのだけれども、そんな中でちょっと良い雑誌は学研から出てる『Okugai』。某山部員が関わっている(らしい)こととか、某小金井の食べ物屋さんの常連さんが載っていたりとか(ビックリした)しているので、まるでブログを活用した口コミ風の広告のようですが、全くそのような意図もなく純粋に「あ、いいな」と思ったから、そのような感想を記そうと思ったのでした。
・思えばあれは大学生の頃、まだ漠然と「あうとどあーな気分」で登山もバックパッキングもボルダリングも何もかも一緒くたに「おしゃれ!」って思っていた頃に、そのような気持ちを盛り上げたのは、山と渓谷社から出ていた『Mt.』という雑誌(ムック?)で、(惜しまれつつ/自分が知る限り)2号で終わってしまったのだけれども、ギア情報だけじゃなくて、色々なアウトドア・アクティヴィスト(と呼びたい)の哲学、そしてストリートとアウトドアを同じ視線で見てるようなライフ・スタイル(とか言いたい)の提案、のような記事を隅から隅までボロボロになるまで熟読して、当時はワクワクしていたものです。
・そういう感覚が件の『Okugai』という雑誌にもあって、そういう楽しそう/少しだけ賢そう/なかんじが良かったのでした。ストリート感が行き過ぎた結果「悪そうな奴は大体山登り」みたいなメディア情報(結構見かけます)は、それはそれでちょっと引いてしまうけれども(なぜなら自分は全然「悪そう」じゃないから)、もう少しソフトに「面白いことは山にもあるよ。いやいや、山に『こそ』あるよ。気づいてる?みたいな?」とかばっかり最近の自分は言っている。それはきっと広告をしたいのではなく少しだけ誘惑したいのです。そして声でも文字でも本当のことをシンプルに伝えたいのです。