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  映像研究

親戚の集いの記録

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・後から書いておく記録。岡山から来ている従姉妹が東京在住の再従姉妹にも声をかけてくれていて、自分と妻を含めて4人で飲食する夜。久しぶりに東京の中心部にいた。普通に生活していたら訪れることがなかったであろう、虎ノ門ヒルズの横丁。大人のフードコート的な空間はとても楽しかった。近況を聞きながら思い出を語り合うことが楽しい。親戚のだれそれの人物評なども楽しい。そうして語り合っていれば、かつての大人は老人となり、かつての子どもだった自分は大人になっていることに気がつく。たとえば、かつて、あの時、指をさせば無限に運ばれてきた食べ物や飲み物は、大人の誰かが、しかるべきタイミングで、しかるべき方法で、お会計していたのだな、などと想像する。なぜかそのことを考えると、少し切ないような気持ちになる。感じていた無限、その前提となる安心、包まれていた歓談の場は、大人も子どもも含めた、ひとりひとりの生が呼応するように、一つの炎を囲むように、ある限られた時間にのみ、立ち上げられていたのだと気がつく。舞台かあるいはインスタレーションのように。そんな場が、あとどれだけあるのか。宴もたけなわのタイミングで従兄弟も合流してくれて解散する前に集合写真を一枚。これに妹が加われば、自分にとっての母方の親戚の若者(40代以下)が勢ぞろいすることになる。そんな時間がこの先にあるだろうか。あるとすればそれはいつだろうか。現実はいつでも想像を超える。再会を願ってそれぞれの帰路に。