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  映像研究

記憶の映画

神保町シアター相米慎二『東京上空いらっしゃいませ』を鑑賞。小学生の頃に自分がはじめて面白いと思い繰り返し観た映画を、今はじめて映画館で観る。35mmフィルムの上映は贅沢。かつてはVHSテープだった。レンタルしたのか、何らかの方法で録画したのか、定かではないが、ともかく「繰り返し観た」という記憶がある。牧瀬里穂を見たかった。動いている牧瀬里穂を見て聴きたいという純粋な気持ちで小学生の頃に繰り返し見て、台詞も、劇中の「帰れない二人」も暗唱するほどだと思っていた。

 

・今観てあらためて面白く、いくつかのシーンは鮮明に覚えている一方で、いくつかのシーンは完全に忘れていた。しかし、映画の体験においては、小学生の頃に観た印象と、おおむね変わらないように思う。

 

・まだ辛うじて、夜という状況に理由の分からないうっすらとした恐怖を感じていて、また映画というものにも不気味さを感じていて、それが大人の底知れなさと結びついていた。映像の中の夜のネオンや映像に映る顔の化粧など、その奇妙さは今でも感じられる。生まれた年齢に拠るのだろうか、今でも1980年代の日本映画、たとえば伊丹十三の映画などを観ると、何か感じる。映像の質感に関してだけならば、フィルムで撮影されてビデオで見る過程の中に何か秘密があるのか。晴れていても、笑っていても、どこか薄暗いと感じる。

 

・そのような余韻を保ちながら、午後からの業務へ。途中本屋で蓮實重彦『ショットとは何か』を購入してみた。映画におけるショットについて、映画における撮影について、今ならば少し前よりは深く考えられるのではないか。それを掴むために、色々な映画を観たい。