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  映像研究

目を澄ませる

・後から書いておく日記。4日から始まった業務が7日で一旦区切れて9日からは一挙に突き進むように再開する。だから8日は貴重なインターバル。周囲の人や見聞きする情報で多く話題となっている映画『ケイコ 目を澄ませて』を観るために立川シネマシティへ。1月末には川崎アートセンターで上映が始まるようだからそのタイミングにしようかとも思ったが、どうしても今観ておきたくて家族を誘ってドライブする。

 

・驚きがあり、感情を揺さぶられる映画だった。表情と声に確かな人間の存在が映し出され、厳しくしかし優しい映画だった。後半何が映っても震えが止まらなくなったのは、そしてもう少しだけ上映が終わらないでほしいと願ったのは、映画の鑑賞としてあまり経験が無いことだった。たとえば主人公と若いカップルの3人が夜の住宅街で身体を動かすシーンの輝きは印象的だった。でも本当はあらゆる人があらゆる時にそれぞれの輝きを持っている、とも思う。街を写すショットにも惹かれた。

 

・「目を澄ませて」という言葉について、映画を観る前も観た後も考えている。「目を澄ませる」とは「よく見ること」であると言えるだろうか。「よく見ること」は目という器官にのみ託されたはたらきではなく、全身の行為であり生そのものである。ボクシングを通して「よく見ること」を鍛え抜いたその人の存在は、映像を通して観る者に感受される。「よく見ること」は「善く生きること」に通じるだろうか。そうした問いを受け取った。

 

・同時にこの映画は「学ぶこと」や「教えること」についても示唆を与える。ジムを離れる若者は「よく見ること」に至らなかったのだろう。「よく見ること」なく授業料の対価として何かの効果を求める者に学びはない、ということを少々残酷に示していた。けれどもいつか何かのきっかけで彼も気がつくかもしれない。あるいはゆっくりと変化するかもしれない。変わりたいと強く願う者は少しずつ変わるのだろう。

 

・午後の立川を散歩して岩盤浴に立ち寄り帰宅。明日からの無事を祈りつつ就寝。