&

  映像研究

嵐のような

・後から書いておく嵐のような日の記憶。異常に気温が高く、風が強く、時折り横なぐる感じの雨も降り、動けば汗をかいて身体を冷やすことを繰り返していた。春の嵐、あるいは台風のような気候。

 

・そうして気がつけば思いがけない出来事の只中に置かれていることもある。少し時間が経って振り返るならば「危なかった」と思うが、本当に困った状況にあれば、俯瞰的に記述することもできない。夕方から夜までの記憶は、強く残っている部分と、夢中ですっかり消えてしまった部分がある。それは記述しない。雨の中を走りタクシーを停めて乗りこみノートPCを開いた時の感じは覚えておきたい。

 

・帰宅して再び明日の提出に備えて準備。ひとまず誰かに反省(懺悔に近い)を口にしたくて家族に向けて言葉を話す。「奇跡だった(首の皮一枚)」と伝えると、「それは奇跡が起こせるように準備をしていたということ」と返答されて、そういう考えもあるのかと思いありがたく聴く。しかし、できれば、こうした種類の奇跡の領域に踏み込むことなくスムーズに事を進めたかった。

 

・反省(懺悔)の後に家族の仕事の関係の写真など見ていると、LINE LIVEで bialystocksのアルバム発売番組が放送されていたのでそれを見る。ポップスやロックと言っても良い曲のうちの多くが、近しい人を失うことをモチーフにしている。その言葉を、歌う声に乗せた感情を、新鮮でありながら懐かしいものとして聴いている。明日には注文した『QUICKSAND』も届くだろうか。車でCDを聴きたい。

 

・いつか先に『UponYou』を聴けば、この2022年11月の緊張を思い出すのだろうか。雨の西新宿を走るタクシーの中でノートPCを開いた瞬間さえ、懐かしく思い出すことができるだろうか。