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  映像研究

雑記

・後から書いておく日曜日の雑記。春のように風が強く暖かい日だった。暖かさが極まって午後から雨に変わるところも春に似ているから、3月の後半や4月の上旬に特有の、人との距離がはかれないような感じが一瞬よぎる。よぎりながらも今年の春はいったいどのような感じであっただろうか。具体的な出来事として思い出すことはできない。

 

・6時に起きて7時に家を出る。8時から約1時間半の、朝のエクセルシオールの時間を確保できた。確保できたが集中が難しい。単純にルーティンの澱みが表に出てきている感じもある。10時から17時までの業務の時間が消える。鶴が隠れて機織する如く年内のスケジュールを詰める。

 

・実家の母親から「藤井風ツアー当選」と喜びのLINE。「よかったね」と返す。言葉にすると素っ気無いが本当に(本当に)良かったと思っている。10代でも成年後でも還暦を過ぎようとも、多くの人にとって(すべての人にとってとは思わないまでも)芸能や歌謡によって得られる活力や安らぎや癒しがある。カレンダーに希望の日付が存在する幸福がある。

 

・自分もまた歌や音楽に何らかのケア的なものを求めているかもしれない。昨日土曜日に「まほろ座MACHIDA」で開催された『小西康陽小西康陽を歌う』の配信チケットを購入していたから、夕食後にそれを試聴する。不思議な、特別な、演奏だった。レヴューのような言葉は出てこない。アンコールで演奏された『私の人生、人生の夏』を一緒に口ずさむ。人生に「夏」があるのか。人生が季節ならばすべての季節は一度しか無い。その残酷さ。でも本当はすべて一度きりだった。そう思いながら、時にたどたどしく放たれる音と言葉を聴いた。

 

・さほど深く考えず、あるいはその時は深く考えたつもりでも後から考えれば必ずしも深く考えたとも言えない程度の考えで、思い切って、やけっぱちで、自分が書きつけたまたは発した言葉に、時間が経って再び出会い感じ入るということがあるのだろう。

 

・11月ももうすぐ折り返し。