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  映像研究

場所

・「場所」という語を繰り返し発して、結果的に自分が、「場所」とは何かについての考えを詰められていないことが浮き彫りになった一日。反省ないし課題がひとつ増えた。「空間」とも「環境」とも異なる「場所」とは何か。あるいは、それを映像化しようとした際に、「風景(の映像)」と「場所(の映像)」は、どう異なるか。どう異なると説明できるのか。容易に説明できないのは自分の力の限界もあるが、容易な説明が実感に通じるかどうかは、少しだけ別の問題かもしれない。素朴に言って、論述と口述は異なるのだし。ともあれ、では実際に、その「場所」を問題としながら、ある具体的な「場所」に身を置いてみることは、ある程度まで、「場所」についての実感を持つ上で有効だろうか。写真や動画を撮影して、見返してみることはどうか。感覚を言語化することはどうだろうか。しかし普通に使ってしまった「実感」とは何か。「場所」を「実感」することとはそもそも何なのか。みんなしている、と言えるようにも思うし、同時に皆意識せずに掴まれることなく流れていくようでもある。それを掴むことは、何かの表現や、その手前で思考するために求められるのか。もちろん表現なき思考はあってしかるべきだし、表現と思考を切り分けられると考えるのも便宜的なものに過ぎない。いきおい、気を緩めると「それなりに長く生きていれば何となく感じるられるのでないか」と済ませてしまいたくもなる。振り出しに戻る。いまこんなにも、ぼんやりと考えている。