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  映像研究

きれいに終わらない

・202207302030。帰宅する京王線のシートに深く腰を下ろして書いても良い。合宿のような心持ちで臨んだ夏の業務の全6日間のプログラムが終了した。大きな事故はなく終わったが、何もかもきれいに、つつがなく、というふうには終わることができなかった。多分こうしていつでも少しの反省を残して終えている。反省を反芻しながら。

 

・制作されたものに対して何らかのコメントをする、ということを労働として続けている。業務の中身はそれがすべてではないけれども、一つ、大きな要素ではある。20代の頃はいかに気の利いたことを話すかという一種のゲームのような姿勢でそれに向かい、30代をかけてその姿勢自体を問い直すことになった。いまは第一に素直に話すことを心がけている。そしてその言葉が何らかの養分になるようにと願っている。

 

・「不思議な作品」としか言いようのないものを前にして、「不思議な作品ですね、」と声に出して、なぜ自分がそれを「不思議」と思ったのかを言葉にしてみる。不安そうな表情を感じたならば、「不思議、ってそれは悪いことではなくて、」というエクスキューズを放ってみるかもしれない。

 

・あるいは「面白かったです」「すごいですね」「びっくりしました」など、本当にそう感じたときには言葉にしてみる。「〇〇性」などの批評のための語が必要となることはほとんどない。あるとしても、その語に注釈をつける必要があるのではないか。批評に専用の語が溢れそうになる前に、感情(どのように心が動いたか)と、その理由についての考察を伝える。気づけばそうした行為が自分の方法になっていた。同時にその方法に安心することなく。また継続しながら考える。

 

・昨日は夏の初めに購入したicebreakerのボーダーTシャツにサンリミットの少し生成りのような白いシャツを羽織ってみた。ボーダーのTシャツを着ることも、シャツの前を開けて着ることも久しぶりで心持ちが変わる。今日はPOSTの半袖のダンガリーシャツに、もう購入して15年以上になるkolorのカーディガンを羽織る。半袖のシャツを着て職場に行くことが珍しく、これもやはり周囲の空気が変わったように感じる。勢いに任せて数年前に購入したadidasのオズウィーゴも履いてみた。もう少しだけふざけても良いのかもしれない。なにしろ夏だから。

 

・こうして夏の断片を記録する。帰宅したら久しぶりにワインを飲むことになるのだった。