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  映像研究

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・夏季休暇1期の実質的な最終日。このような一日が輪郭を持って思い出されることは無いであろうあらゆる意味での谷間のような一日。このような日に形を与えるためにこそ日記という形式があるのかもしれなかった。だから書く。行為と思考を書いてみる。一日家にいて、主に業務の準備、選挙後の情報の視聴、自分の作業、読書、Zoomで面談、メールなど。オンラインの日記という性質上(?)書くことの他にも書かないことはある。アップロードしないこと、と言った方が相応しいか。主には反省。書くことで整理されないそうした事柄はしばらく思考を支配して、次第に沈殿して、落ち着いた頃に友人と対面した際に話すことがあるかもしれない。ちょうど8月後半の計画を友人たちと立てている。友人がメッセンジャーに情報を投げてくれて、出遅れた自分はやっと調整さんに記入。天国のような未来を想像しながら一ヶ月と少しを過ごすことになる。明日以降の天気予報はしばらく曇りないし雨。ひとつの夏をひとつの生命のように想像したならば、今年の人(夏)は前半かなり飛ばしすぎたのか。しかしそれぞれの生命の絶対量は異なるから活力を取り戻し長生きするかもしれない。夏という生命の動きと展開についていくあるいは巻き込まれるのがこの季節の醍醐味。映画を観るように同じ時間を生きる。生命であるから休んでも良い。まったく変化がなく見えるぼんやりした暑さ=曇りがあっても良い。こうしていつでも「〜ても良い」と言う。深いところに、基本としての肯定があればと思う。それがひとまずは自分と周囲に生きる人たちを活気づけて時に救うことになるかもしれない。そのようなことを考えながら、お昼にはレトルトのスパイス系のカレーを食べる。汗をかいたならば少し涼しい。そしてまたすぐに暑くなる。アイス(パルム)を食べる。今年はじめて麦茶を煮出す。玄関の物入れから「2013・06・10」と記された梅酒が発掘された。