・「見知らぬ街から 小包が一つ」というフレーズからはじまるBialystocks『差し色』という曲を聴いている。フォーク・ソングのようなやわらかいメロディだがところどころに奇妙な音や歪とも思われるアレンジが加わっていて面白い。この二ヶ月ほどはBialystocksの音楽とともに春を過ごしてきた。と言える。並行して甫木元さんという人の来歴を知るにつけて、映像を専攻した人たちの表現の幅と何か共通する感じのことを考えてしまう。これは文字通りの偏見だけれども、大学の基礎的な教育として「映像」を学んだ人たちには、「外にあるものを写し取る」意識のようなものがうっすらとあるのではないか。そして「場所が記憶を持つ」という考え(ex.多木浩二)も。その人たちが歌のある音楽を制作するならば、それが歌詞に表れ、あるいは発声の感じに体現され、場合によってはミュージック・ビデオの演出にも反映される。ように思う。それはさておき自分は「映像を学んだ人は大体友だち」と思っているふしもある。偏った見解ないし見識。
・甫木元さんの書いた制作メモのような文章「差し色、覚書」を読みながらミュージック・ビデオを何度か見る。ひとつの映像が生み出される過程には「想像力」や「構成力」など以上に偶然や無意識が介在する。そのことが記されていた。その意味で創造は撮影する場所と出会う時点で既にはじまっているのだし、作ることの以前の、すべての時間の知覚と関わっている。といえば大袈裟にすぎるだろうか。思わず「運命」と口にしたくなるような出会いや、絶対的な偶然の結果としてある出来事が生じる。その出来事を写し(移し)、必要な限りで構成して、ひとつの時間が生み出される。こうした映像が創造される過程における制約の中に無限がある。と言ってみて。『差し色』を何度も聴く。「日々の切れ端/明日への抜け道」という印象的なフレーズで終わる。
+
・別のこと。「見知らぬ街から 小包が一つ」と思いながら帰宅すると思いがけず自分宛のおしゃれな封筒が届いている。京都の二手舎で清野賀子の仕事を紹介する展示が行われることを知ったのは数日前。今後の予定がまったく見えないからいまだ予約をためらいつつ、「行けるかな、7月までに。京都へ。」と考えつつ、取り急ぎブックマークなどしていたが、なぜ突然封筒が届くのか。念力が届いたのか。と一瞬思うが、おそらく過去に二手舎で清野賀子の『ChickenSkinPhotographs』という作品集を買い求めた履歴に応じて送ってくださったのだと理解する。とてもありがたくすごくうれしい。
・今書いている福原信三についての文章がひと段落したならば、次に考えてみたい(書いてみたい)ことはいくつかある。そのうちのひとつは清野賀子という写真家についてで、実際に何度か書き出してみたり、構成を挙げてみたりしたが、煮詰められていく気配には至らない。決定的な書く動機がたかまっていないということもあるが、そもそも書いて良いのだろうかという気持ちもある。いまだ充分に論じられていない人物について書くことは、それは大きな歴史の一部(であり叩き台のようなもの)であったとしても、方向づけをしてしまうように思う。先行研究が存在する研究と比較してまったく別種の責任が生じるようにも思う(しかしその責任は本来あらゆる制作や研究に伴うものでもある)。そのようなことを思いながら。
・ともあれその思考も含めてしばらくは見ることと読むことを続ける。中断して。