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  映像研究

新しい芽(4日目、2日目)

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・202201022025。足を湯に浸けながら風呂場に資料を持ち込み読む。読む手と頭を休めて今。水を飲んで、息を吸って、換気扇の音を聴いて、そして別の言葉を話すために書いても良い。

 

・毎年まったく同じように年末年始の4日の休業(12/30・12/31・1/1・1/2)がある。その4日を振り返ると、記憶の中で2021年と2022年を境に区切れているから、暦はよくできていると思う。2021年ははるかに遠い記憶になる。そう感じる。それでも日記を書くときには「にーぜろにーいち」と打ち、「いち」を消して「に」を打ち込むことになる。暫くの間。このように2021年は年度という制度によって緩やかにフェードアウトして終わる。ポップスでサビの部分が繰り返されながら消えていくように。

 

・1日は自分の実家へ。2日は妻の実家へ。それぞれ食事しながら色々な話をする。この一年や二年の近況や、もう少し長い時間の話を、主に年長者に聴く。自分の知らない時間の話をあとどれくらい受け取ることができるのだろうかと思いながら。

 

・そうして今日は近所の神社に初詣にも行くことができた。毎年少しずつ祈りが具体的になってきた。あるいは時間をかけて本気で祈るようになってしまった。しかも雪だるま式に増えていく。幸福を願うことと欲望がせめぎ合う自分の祈り。新しい年だからこそ素直に祈れることがある。

 

SNSのタイムラインに年賀状のような報告や祈りや願いが流れてくることも面白い。声を聴くように見て読む。

 

・夕方自転車で家に帰り、駐輪場に自転車を停めて、いつも見る梅の木にはもう蕾がスタンバイしている。一番寒いこの季節に、いったい何をサインとして蕾を膨らませているのかと考える。凍るほどに寒いからだろうか。暖かくなると蕾が膨らむのでなく、凍るような条件が蕾を動かすのだろうか。「あ、」と思う。

 

・いま初めて気がつくことがある。これまでも新しく何かに気がつきながら暮らしてきたのだし、この先の未来にも、気がつくことが溢れていれば良いと思う。