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  映像研究

驚き

・202110152116。帰宅する京王線で日記を書いてみる。10月の約半分が消えた。毎日の陽射しはまだ地表を暖めているけれども、一方で蓄積された熱は少しずつ失われていく。いつか乾いた土やコンクリートの方が冷気を発するようになる。その境はもうすぐだろうか。

 

・午前中は家で書く作業。望むように、あるいは期待するようには進まず、集中もたびたび途切れる。このような段階を経ていつも一定のボリュームの文章を書いてきた、という記憶はあるが、しかし今回に関してはなかなか険しい。アウトラインから再考する。

 

・自宅で昼食の際には、この二週間くらいはPodcastジェーン・スー堀井美香の「OVER THE SUN」』を聴いている。毎回約一時間なので、大抵二日で一回分を聴く。どの回も面白いけれども新しいvol.54が特に素晴らしくて、二日連続で聴き直し昼のリビングで声を上げてしまった。「大人が駄々をこねる」という話題。業務の最中に、たとえば後輩が話しかけることに対して、即座に相手の言葉を全否定するというファンタジー。このような話題で密やかに笑うこともできる年齢になった。

 

・何かを見聞きして、声を上げて笑う、ということが久しぶりだったかもしれない。どうなのかと思いつつ、そういえば日々の生活の中では「笑う」ということ自体が、コミュニケーションの一つのツール、というかカードを切る、ような感じもあり、それによって微妙なニュアンスを含み込んだ「承認」の印になっているようなところもある。コロナ禍では特に「目と声」によって、かなり必死に「笑う」を表現している感じがあるが、一方でそうではない「笑う」もある。思わず笑う、溢れるあるいは爆発する種類の笑いもある。笑いは驚きに似ていた。そのことを思い出した。

 

・自転車で駅まで走る。この時期には田んぼの様子が気になる。刈られている田も、刈られていない田もある。自転車で走りながらそうした様子を見る。しかしどうしてもよく見たくて自転車を停めることもある。味わうように、あるいは静かな驚きとともに見たいものもある。

 

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