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  映像研究

空(から)

・202110102126。帰宅する京王線で、こんな日にこそ絞り出すように書いても良い。普段の日曜も大抵一日業務だが、今日はイベントだったから12時間が秒で消滅した。細かく気を使い、至らない部分は至らず、しかし大きな事故はなく無事に終えた。終えたことを祝してかつてならば打ち上げた。打ち上げた記憶が遠くなっている。

 

・どんな業務をしている人のどんなブログであっても、きっと書けることと書けないことがあろう。自分もまたそうなのだが、ざっくり素描すれば、言葉を話すことが労働の行為の中心にあり、集団に向けて自分が考えたことを話す、その業務がイベントならば、いつもよりも多くの言葉を話すことになる。あるいはいつもよりも長い時間、いつもよりも凝縮して言葉を考え、話すことになる。結果的に今、自分の中から言葉が消えている。

 

・言葉が消えて空(から)になったこんな日にこそ、書いても良い。これは何か筋トレに似た事でもあるのだから。

 

・何かを見て、あるいは何かを読んで、感想を言葉にする係を続けている。他の労働と同じように、誰かがそれをすることが社会において必要であるから、偶然の結果として、している。それが対価を生んでいることを、かなり頻繁に、おそらく月に一度くらい、本当に不思議に思う。見て、読んで、話している。あるいは単に会話をしている。すると毎月決められた日に口座に振り込みがある。

 

・たとえば自分の行為がどのようなことであれ金銭を生む可能性などまったく想像もつかないと思っていた、四半世紀前の自分に向かって(タイムマシンに乗ってみる設定)「あなたは未来において、何かを見て、あるいは何かを読んで、感想を言葉にすることで生活をしています」と伝えたならば、どんな顔をするだろうか。気持ちではなく顔を想像したい。

 

・明日からはまた、今度は言葉を書く作業に戻る。戻れるだろうか。戻らなければいけない。