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  映像研究

声とメロディ

・202109221827。午後いっぱい作業をしてきて、ちょっと今日は難しくなってしまった。組み立てたものを一旦崩してまた組み立てる。難しくなってしまったタイミングで日記を書いて、緊張を解いても良い。

 

・午前中はオンラインで大学の講義に出席する。後期も週に一度は出席できたら良い。こうして自分が学生として出席できるリミットも迫っている。貴重な時間でもあると感じている。

 

・昨日の日記の見出し部分に「乾いた風」と書いてみて、それは朝に散歩した時にふっと浮かんだ言葉だったけれども、ずっとその「乾いた風」という言葉の感触が(風を受ける肌の感覚とともに)残っていて、それは声とメロディを持った言葉だった。真心ブラザーズの『愛のオーラ』の歌い出しの部分、その声とメロディの感じとともに「乾いた風」はあった。いまその曲を確か10数年ぶりに聴きなおしてみる。「乾いた風」は「渇いた風」だった。

 

渇いた風 軽かったかなぼくの言葉

届いてくれ 奮い立ってくるこの楽しい気持ち

ぼくはもう無敵なのさ ぼくはぼくを見つけたのさ

どこでも強く立っていられる 好きなモノに囲まれてる

いつでもそう強気なのさ ぼくはぼくを大好きなのさ

どこでも早くたどりつける 愛のオーラ 身につけてる

でも歩く速度は 君を気遣いながら

走り抜けよう こんな暗いトンネルは

新しい光と風を浴びよう

 

並んだ雲 寄り添ってくよ夕焼けの空

動いてくれ この心が暖かいうちは

道はもう混んでないよ 腹はもう空いてないよ

あとは君に会いにいくだけ 君の顔思い浮かべて

とにかくYEAH楽しいのさ ぼくは君を大好きなのさ

ぼくも君も美しくなる 愛のオーラ 身につけてる

笑いあうフェイスは まばゆい光の中へ

走り抜けよう ぼくらふたり手をつなぎ

素晴らしい世界が輝いてるよ

 

・読んでみて、凄い歌詞だと思う。いま、たとえば、このような言葉をSNSに不用意に書いてみたならば、「マウンティング」などと言われて吊るしあげられてしまうのだろうか、とも考える。これは、自分が幸せである、そうした状態を肯定する種類の言葉であると思う。肯定する言葉は、しかし「事実」を「述べて」いるのではない。それが嘘であるとか、盛ってるとか盛ってないとかそういう問題ではない。「幸せである」と、肯定することと、自分の身体からそのようなアクション(声とメロディ)が発せられることは切り離すことができない。いうなれば呪文のようなものである。それが「表現」ということでもある。とはいえ盲目な開き直りではない。アイロニーは含まれてはいるがそれが目的でもない。

 

・言うまでもなく「走り抜けよう こんな暗いトンネルは」の箇所には、深い闇もあるのだし。

 

・この曲は確かPUFFYの吉村さんに書かれたものとして最初に発表されたのだったが、雑誌のインタビューでインタビュワーに「なぜこんなに良い曲を自分で歌わず他の人に提供してしまったのか」と倉持さんが詰め寄られていたことを(イメージとして)読んだ記憶がある。(こういう90年代のJ-POPにまつわる脳の中のメモリーをすべて消去できたならば、いったいどれほどの言語や哲学的概念を学ぶことができたのだろうかといつでも考えるけれども、それはもう仕方がないのだし、勿論そういうことでもない。)ともあれ、倉持さんが歌う『愛のオーラ』を初めて聴いた20年以上前に、歌い出しの「渇いた風」の箇所を聴いて、何かを感じたことを今でもはっきりと覚えている。それは「自分の言葉を自分の声で発することの正しさ(と美しさ)」のようなことだったと思う。

 

・いまこの言葉を読み、聴き、世代論と言ってしまえばそれで事足りるかもしれないが(特定の時代と一定の年齢という二つの意味で)、しかし「かつてあった(ように思っている)価値」のようなことについて考えざるを得ない。現在においてこの言葉は、特にフレーズを切り出してしまったならば、「自己を肯定する言葉」として別なふうに響くのではないかと想像する。たとえば、「ぼくはもう無敵なのさ ぼくはぼくを見つけたのさ」「どこでも強く立っていられる 好きなモノに囲まれてる」という言葉は自己啓発か何か特殊に外から注入される高揚感のようなものに盗まれてしまった、というような考えが浮かぶ。

 

・この曲で歌われていることは「特異な個」の特殊な価値ではない。普遍的なことを歌っているのではないかと思う(思っていた)が、どうなのだろうか。いまこの種類の表現を、盲目な開き直りではなく、アイロニーは含まれてはいるがそれが目的でもなく、複雑なことを必要に応じて単純にしつつも、基本的には複雑なままに、そして何より肯定的に表現に結びつけている人がいるのだろうか。そしてそれは誰に、どのように届き得るのか。いつかまた考えるけれども中断。

 

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