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  映像研究

スマホを忘れる

・20210829のことを後から書いておく。引き続きの軽い頭痛。目薬をさぼると少しの目の痛み。上半身が固まっているようにも感じる。起床して「全然疲れが取れてない」と声に出す。他者と生活を共にしていると、このようなことを声に出すことが許されていると感じるが、それもどうなのか。

 

・朝から夜まで業務。ちょうど12時間が消えた。スマートフォンを家に忘れたことに電車で気づく。MacBookHDMIケーブルを接続する器具を家に忘れたことに職場で気づく。職場に提出すべき書類を提出し忘れたことに帰りの電車で気づく。忘れ、気づき、一日が過ぎた。

 

・業務それ自体は面白い。チームを組んだ人たちの話す内容や話し方から学ぶことが多くあった。今日の自分はAD(アシスタントの方)のような役回りだったから、準備して、段取りして、見守ることが主。時々自分も話す。「この人の言葉はよく理解できる」と感じる人の、思考を辿ることは学びが多い。多くの人が、10の言葉で10の時間に話をするところを、3の言葉に絞り(選び)、構成をして、6~8の時間をかけてゆっくり話すこと。たとえばそのように観測した。あるいは「この人の言葉はよく理解できる」と感じる人を、自らタラップを開き、聞き手を機内に招き入れて、ゆっくりと滑走を始めるジェット機のようにイメージする。そうでない人は、着陸もせずただ空を高速で移動する。

 

スマートフォンのない帰りの電車内は手持ち無沙汰で、本を読む力もなく、周囲を眺める。以前に比べてスマートフォンを操作する人の動きが気にならなくなったのは、風景の中にマスクという異物が存在していることによるのか。しかしそれにも慣れてしまっている。

 

・駅の公衆電話から家族にかける。「何か買って帰るものはありますか?」。かける必要はない。公衆電話を使うことが面白い。

 

・帰宅して21:30。野村訓市のラジオをタイムフリーで聴きながら夕食。23:00には意識を失う。少しだけ涼しい。