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  映像研究

記憶、現在

・202106252137。帰宅する京王線準特急で書いても良い。

 

・今日は午前中から恵比寿。約二ヶ月ぶりに写真美術館の図書室へ。研究に必要な資料の複写をお願いする。作業中にざっと雨。図書館で見るスコールの幸福。

 

・せっかくだから篠山紀信『新・晴れた日』を鑑賞。雑誌「明星」の表紙の部屋が面白かった。好ましい好ましくないということではなく、篠山紀信という写真家が撮影する「東京」という場所に自分が住んでいる気がしない。その感覚を確認できたことが一つ、収穫だった。

 

・写真美術館に来た日のランチは冠尾というお店でラーメンを食べることが多い。

 

・乗り換えの渋谷で古本屋。ユリイカのバックナンバーの棚をぼやっと見ていて「ブログ作法」という特集が2005年だった事実に意識を持っていかれる。きっと多くの人にとって憧れのはてなダイアリーだった。そういえば桜丘に通っていたのもちょうどその年からだった。あの時間は、あの過去は、今どこにあるのか。

 

・午後は業務。14時から21時が一瞬で消えた。事前に準備をして他の人に任せることができない形で業務が形成されている。結果的に謎のサービス的な労働が生じている。自分はそれを税金のようなものとして受け入れているが、他の人あるいは組織にとってはどうなのか。そうした視点を持つようにもなってしまった。

 

・業務は主に写真を見て写真を撮影した人と会話をすることだった。毎年こうしたことを行うが自分が話す言葉も話し方も変化し続けている。そのことを感じながら。

 

・開放を待ちながら一年と数ヶ月が過ぎている。有事で日常が変化すると、さらにそれが社会全体に影響することならば、過去との距離がはかれなくなるような感覚がある。有事に埋め込まれた個人的に特別な出来事の順序も不確かになり、あれとそれが同時期だったことを疑う。2005年、2008年、2010年、2011年。

 

・今年も半年、よくやったのではないか、と言い合いたい。梅雨の最中に。可能ならば現実の、或る場所で。