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  映像研究

春の山

・202104111906。日曜日の業務から帰宅する京王線で記録しておく。日曜日の夜の少し賑やかな電車内で。

 

・息を吐いたならば、首からこめかみにかけての凝りが少し緩むように感じていることに気づいた。「ひと山越えた」という表現があるが、それはまさに今夜のいまこの時のことではないか。かつてならばいまこの時は乾杯していた。「乾杯」という名詞あるいは発声。協働を互いに称える厳かな儀式があった。しかし今夜は解散。ひとりでこの「ひと山越えた」感じを確かめたい。

 

・新しい年度を立ち上げること。誰もいない教室に机を並べること。課題の言葉を書くこと。そして実際にそれが動き出すこと。繰り返すほどに慣れるが、しかし繰り返すほどに簡単にはならない。繰り返すほどに慣れることで、解像度が上がる。たとえば会話をしていても、文字通りの言葉の意味に返答するのではなく表情や動作も情報として読むことになる。そして表情や動作を受け取りながら文字通りの意味をより深く読解しようとする。結果的に、繰り返すほどに慣れることは、より高度な(あるいは深い)前提を作り出す。簡単にならない。

 

・より良い場にするためにはどうしたら良いか、ということを話し合える人が、数人であれ、身近に存在するという幸福。同時に「ほんとうに面倒なことをしているよね」と笑い合うこともできることが重要。ロールとプレイが完全に忘れられるとき、権力が立ち上がる(ロールやプレイを悪用する権力もあり得る、自戒を込めて)。

 

・こうしてこの一ヶ月の業務に関わる内容や形式そして方法についてひとしきり考えたことをアウトプットしたならば、明日からは自分の研究の時間を創り出さなくてはいけない。ひとつ山を越えて、別のロングトレイルへ。

 

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