&

  映像研究

2021年3月20日

・思い出して書いておく。「3月20日」のことを特別な日付として覚えている。1995年の3月20日は、歴史の記録では「地下鉄サリン事件」の日になっている。そして自分の歴史では「中学校の卒業式」の日ということでもある。卒業式の後、ファミリーレストランではない商店街のイタリアンレストランに友人と3人で行ったのではなかったか。ある年齢まではきっと「目に映るすべてはメッセージ」なのだから、その時間の「3人であること」も「商店街のイタリアンレストラン」もメッセージだったかもしれない。facebookを覗いてみたならばその友人の一人の子供が中学校を卒業したという話題が流れてきて時間が流れたことを思う。未来にいると思う。

 

・朝起きてややあって午後に少し職場へ。いつも職場で会う人が「今日は集中して一時間だけ」と話していて、自分も全く同じコンセプトで職場に立ち寄ったのだった。準備を少し。

 

・その後池袋周りで実家へ向かう。本当ならば池袋でジュンク堂を上から下まで散策したかった。あるいは池袋西武で衣料品など鑑賞したかった。デパ地下も眺めたかった。そのような何もする余裕なく乗り換える。実家の最寄駅で家族と合流する。春から単身赴任で東京に住むという従兄弟の歓迎会。そして先月の父の命日の集まりも兼ねて。気がつけば世代が一つ移り変わっている。一つどころか一つ半くらい進んでいる。はるか未来にいると思う。

 

・「3月20日」のことを特別な日付として覚えているのは、日記を書きはじめたことにもよる。2007年の桜丘のことも時々思い出す。いつもは忘れている。定点観測。