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  映像研究

おでんする

・202102101911。今日も昨日に続いて一日作業をすることができた。書くことと読むことがまだ接続されていない。どんなふうに自分は文章を書いていたのだろうか。こうしたメモや日記ではない文章の書き方をもう一度自分のうちに取り戻さなければいけない。空白の時間が長いからか、そもそも書き進めることに対して抵抗のような感じもある。しかし続けるしかない。

 

・今日の夜はおでん。大根を切り皮を剥き面取りをして米の研ぎ汁で茹でる。その作業もスムーズにできるようになった。揚げ物はお湯をくぐらせる。そして煮る。おでんを煮ている間に作業を続けて、作業が中断したならば日記を書く。おでんの記録ももう少ししっかり取っておくべきだったか。「神茂」のおでんはスーパーマーケットで見つけたならば贅沢品で購入するのを躊躇う。「水野水産」のおでんもなかなか良い。「紀文」のおでんももちろん負けていない。今シーズンあと何回おでんをするのだろうか。「今日はおでん」と言った時にその「おでん」は名詞だが動詞のようでもあるところが面白い。「おでんする」。食事の内容ではなく食事の形式としての「おでん」。

 

・恵比寿映像祭に行くタイミングをはかりつつ、今夜はいま「日仏会館共催企画 映画と人-危機のなかの映画」という映像を流している。映像祭はそれはそれとして、映画館に行きたくなってきた。映画館で映画を見るという経験の貴重さを思う。

 

・オンラインでこの一週間色々な物を購入している。FUJIFILMの「PRO 400H」生産終了は自分にとっては確かになかなか深刻である。何人かの意見を読んだけれども、やはり「PRO 160NS」では使用する環境が限られる。そしてKodakはどうしても色の点で選択し難い。どうしようかと考えて、とりあえず量販店のオンラインストアでブローニーフォルム5本入り2ケース購入。実際のところ自分がいつまで、FUJI GW690Ⅲを使うのかわからないが(なおかつこの一年はあまり撮影できていない)、ひとまず有効期限が「2023-1」と書かれているから、もう少し買い貯めておいても良いのかとも思う。

 

ホーリーバジルのお茶(トゥルシー)を買う。前回九州の某所の物を購入して「こんな感じだったっけな」と思って、別の沖縄某所の物を購入して飲んだところ全く違って驚く(良い意味で)など。

 

・最近晩ごはんを食べながらNHKオンデマンドで『あてなよる』という番組を見ている。ナレーションの感じと映像のトーンがどこか『ワーズワースの庭で』『ワーズワースの冒険』を思い出させる(私見)ところも良いが、あらゆる点で自分の気持ちを緩めてくれる映像。見る『dancyu』。そういえば数年前まで全然理解ができなかったが、人が美味しい物を食べたり、美味しい物を飲んだりしている様子を見ることが、自分自身のかなり大きな快楽であるということに最近気がつきつつある。きっかけは同じくNHKオンデマンドでよく見た『世界入りにくい居酒屋』だったかもしれない。『Trails to Oishii Tokyo』も良い。あるいは週刊SPAで連載している『月夜のグルメ』を読むことの快楽も通ずる。人が美味しい物を食べたり、美味しい物を飲んだりしている様子を、一種のドキュメンタリーとして見ているようにも思う。そしてそのような映像を見る快楽は、なぜか映画やドラマからはあまり感じることができない。考えてみるとこれは不思議なことかもしれないが、それは自分の鑑賞の体勢にも依るのか。

 

・何かのコンテンツを受容する際にそもそも「嫌なことが何一つ起こらない」ということを、以前にも増して肯定的に捉えるようになった。というか、ある種のテレビ番組や、漫画や、雑誌などに自分が求めているのは、思考のきっかけを得ることや現実の事象を知ることではなく、むしろ「何らかの理想の状態を感受する」ことなのではないか。特に漫画に関しては、かなり昔からそのような嗜好があったように思う。「世界はこんなにも残酷である」あるいは「世界はこんなにも壊れている」というような表現に対して、自分は全然別の表現を求めているのだと思う。中断。