&

  映像研究

・202102032040。労働を終えて飛び乗った京王線は今日も正確に動いている。そして適度に混み合っている。終電時刻の繰り上げについての放送が流れるが、何が緊急事態で、何が不要不急で、何がノーマルなのか。自分の業務の繁忙期の一種異様なテンションも相まって、何が何なのか、いよいよわからなくなってきた。この時期を経て、少しずつ暖かくなる季節に、家で籠って作業をしたりすると、それはそれでまた、昨年のこの頃が思い起こされて不思議な気持ちになるのだろう。別のタームに入った世界。

 

・世界と関係なく暦は存在しているのか。今日が節分かと思っていたけれども、そういえば昨日が節分で、今日は立春だった。季節を分かち、春が立ち上がる。意思とも、欲望とも、宣言とも関係なく、季節はうつりかわる。そのことのイメージ。立春で思い出すのは、かつて山の麓の町に住んでいた頃に、真昼に駅までの真っ直ぐな道を歩いていると、向こうから友人が歩いてきて、ちょうどいま婚姻届を提出してきた、という話を聞いたこと。その時の場所のイメージを確かに今も持っている。

 

・朝晩に蜂蜜を舐める生活。起床時と帰宅時と就寝前に人匙の蜂蜜を取る。布団乾燥機の助けも借りる。昨日の夜に身体の節々が痛く固まった感じがして、これは、もしや、とうとう、やはり、逃げきれなかったのか、と思いながら布団に包まったところ、身体が熱を発する夢をみたような感じがあって、8時間寝て起きると回復していた。睡眠への信頼。あるいは信頼としての睡眠。睡眠という信頼。生まれたてのような2月3日だった。