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  映像研究

色、形、文字、姿

・202101181921。今日も一瞬で消えた11時間の重さを身体で感じながら京王線に乗る。時間に重さがあるのか。少しだけ考える。しかし時間に力があるのならばその力の圧縮がこの身体だと感じる。疲労と言ってしまえば簡単だが、確かに身体が重くなっている(昼食べ過ぎたとかではなく)その重さを夜寝ることで少しだけ放つ。あるいは返す。そんな感覚がある。しかし何に(誰に)返すのだろうか。

 

・本屋に行きたい気持ちが溢れ出し、少し早く退勤できたから最寄りのくまざわ書店に駆け込む。書評されたコーナーや人文の新刊などで心ゆくまでパラパラしたいが、取り急ぎ雑誌コーナーに引き寄せられる。雑誌コーナーで手当たり次第に捲り、色や形に何かを感じた雑誌を抱える。3冊までと決めていたが、決めていたことは大抵破られる。Themマガジン、ブルータスカーサ、ギンザ、2nd。会計しながら、本当は自分は洋服を売っている店やインテリアや雑貨を売っている店などに行きたかったのかもしれないと感じる。代替としての雑誌。しかし雑誌が映し出す鮮やかな色や形にはそれ自体の力がある。家で静かにそれを見ても良い。

 

・そういえば今日はひょんなことから朝一で業務になった。同僚のピンチヒッター。しかしこの時期はほとんど試験監督のような時間が生まれるから、業務の別の仕事が捗ってそれはそれで良かった。映像編集業務。合間に文字を読む業務。顔を上げれば文字を書く人たち。あらためて、人が手で書いた文字を読むことが自分の業務に対するモチベーションの何割かを占めていると思う。手で書かれた文字を読むことには、あるよろこびがある。多分このよろこびは希少なものだ。そして自分がいる場所に「文字を書く姿」が存在していることも。それはいつか消えるのだろうか。

 

・見ることをしていることを見るよろこびについては、いつかもう少し考えたい。中断。