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  映像研究

ドキュメント

・202101042020。帰宅する京王線で何かを書いてみる。3日から始まった仕事は6日まででひと段落する。ひとまず4日間×約12時間の集中的な教室。正月らしさからの急激なシフトチェンジに身体も意識も何もが置いていかれるような状況だが、昨日の夜ふと『ドキュメント72時間』という番組のことを思い出し、この4日間が「ドキュメント96時間」だか「ドキュメント84時間」だったならばどうだろうと考えて、少し自分の振る舞いや業務の最中の出来事を俯瞰できるように思った(文字通りの気休め)。『ドキュメント72時間』特有の「〜なんだって」という語尾で語られるとどんな時空間も唯一かつマージナルな場となるかもしれない。

 

・そんなドキュメントの13時間目くらいの昨日の夜。帰宅したならば家族が年賀状作成の傍らで作ってくれたグラタン、おせちの裾野としての、湯葉、点心、魚卵などが並び、正月の時間の終わりとドキュメント的な時間の始まりがディゾルブされる。BGMはTravelling Without Moving。これでほぼ3日に一度は野村訓市のラジオを聴く年末年始になった。「つづきまして」という語り出しと「〜いいんじゃないんでしょうか」という語尾が、この場所を旅にするのか。

 

・ドキュメントの36時間目くらいの今。今日は緊急事態宣言の話題が流れたことから、近い予定を想像し直す一日。3月後半のある時期の出来事やその流れを思い出し、しかしその時期とはまた異なる現在にいるのだと思い直す。この場所に集まることができない、あるいは何らかの制限をされることの困難もあるが、自分の業務において大切なことは、ある種のユーモアであり、この現実とは異なる時空間を想像することであるから、社会的な出来事によって思考が統合されるのではないかという心配がある。これは2021年1月4日の段階のメモ。

 

SNSのタイムラインにもうしばらく会っていない友人が笑顔で写された写真がアップロードされていて、その写真を見て、その表情の放つ力を受け止める。