・ここは、と書き始める、202011231801。何事もなくとも書いてみる。普段カレンダーの黒や赤や青を気にすることなく、というか、多くの人の働く/休むという活動と重ならない日を過ごしているけれども、にせよ、祝日はどこか気持ちが切り替わる。「こういう時こそ自分の作業を進めよう」と思う。思うから本を読む。英文をコピーしてOCRなどする。していたらすっかり夕方になってしまった。11月後半の18時は夜だった。夜になったら一度止まる。
・読まない作業中にラジオの代わりにNHKオンデマンドで三島由紀夫の番組とジョン・レノン(とオノ・ヨーコ)の番組を見る(というか聞く)。三島由紀夫もジョン・レノンも40代で死んでいる。20代で名をなした人は、30代で活動を転換して、何かをすっかり信じることができるようになる。二つの番組を通して見る(聞く)ことで、そのような、人の活動の道行を考えた。そうした音声を聞くことを止めて本を読む。
・「ここは部屋です」「ここは中央図書館です」と書き始める「ここは」という言葉は、山崎るり子という詩人の「ここは」という題の詩が、記憶に残っているから、つい書いてしまうのかも知れなかったことを、先週職場の本棚を整理していて、山崎るり子『だいどころ』を久しぶりに手に取ったことで思い出した。20歳前後に知り、30歳くらいの頃には、石垣りんさんや山崎るり子さんの詩を、好ましく読むようになった。それは一人で生活する経験が、一人で生活することについて考えさせ、あるいは逆に家族とは何かということを考えさせたからかもしれない。そうしたことを考えるような詩やエッセイや漫画を集中的に読んだ時間があった。「時間があった」と言うときに、今はそういう時間ではない。
・年末に向けてオンラインで様々なイベントを見ることができる。ちょうど今ならば、『「民主主義」と大学』というトークイベントを見ている(聞いている)。リアルな集まりや出来事がオンラインに切り替わった2020年を思い出させられるとともに、今またこれからそのような転換が進展してゆくのであろうことを感じる。「映像」について、「番組」について、考えることもある。
・思考が分散したまま秋が閉じようとしている。