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  映像研究

俺の

・202010201214。恵比寿ガーデンプレイス内の「俺のベーカリー」で注文したサンドイッチを待ちながらメモをしても良い。東京都写真美術館(TOPミュージアム)の図書室で調べる三日目。初めて利用したのがちょうど一週間前だが、いつでもこちらが恐縮するほど丁寧に対応していただき作業が捗る。こんな生活を暫く続けられれば良いのだけれども。

 

・そして昼休みに「俺のベーカリー」へ。「俺」とは。前回と前々回は「冠尾」というラーメン屋へ行ってみたが、今日はふとパンにタルタルとウスター味の何かが挟まった感じのものが食べたかった。そういうものを注文する。そういえば100年ほど昔の雑誌を調べていると一人称も気になる。「吾」という一人称に、あるいは「君」という三人称に、ふと立ち止まる。100年前の彼らはどのような声の調子で会話をしていたのだろうか。何に怒り何に爆笑していたのか。写真は白と黒の階調でもカメラを向ける先には色がある。そのことは自分には決して理解できない。サンドイッチが運ばれてきて中断。

 

・サンドイッチを食べたあとに美術館に戻りB1の写真新世紀展を鑑賞。あれ?と思い確認したが数回しか会ったことない知人が入賞していて、なおかつ凄く惹かれる作品だった。写真にも映像にも見るべきものはたくさんある。誰であれ制作している人は更新し続けている。いつでもその制作へ飛び出すことに遅れているという意識がある。「遅さ」ではなく「遅れ」、それは目の前のものを言葉にする「遅れ」と繋がるのだろうか。「遅れ」に自覚的であれ。

 

・午後もひたすらにコピーを取る箇所に紙を挟む作業。機械的なしかし認知的な作業の脳的あるいは身体的な限界を感じたところでちょうど17:30のタイムアップ。こうして今日は終わる。ガーデンプレイスエクセルシオールでコピーを分類して今日はこれから業務の買い物で大型書店に行かなくてはいけなかった。202010201815。中断して引き続き移動。ゆっくり文章を読む時間は先延ばしになる。

 

・202010202009。そして買い物を済ませて一瞬職場に置きに行き帰宅する京王線で今日三回目の日記を更新しても良い。きっと多くの人はこのようにTwitterを使っているのだなと、その媒体からすっかり脱落してしまった自分は思う。言葉にしてみたいことは今でもたくさんあるのだ。それを投げるかどうかはまた別の問題。