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  映像研究

昔より思いきり

・著名な人の自死から何事かを考えずにはいられない日曜日。ふと仕事の手を止めた瞬間に重い気持ちに振り向く。自分と年齢が近しい人の死という出来事はいつも突然何かを考えさせる。その考えをどれほど進めても、最終的には「他者の思考のわからなさ」にぶつかる。時々考えるだろう。色々な人の存在が浮かぶ。たとえばかつて教室と呼ばれる相当変な空間で机を並べていた人たちそれぞれの存在。今生きている人ももう生きていない人もいる。しかしいつでも考えるわけではない。

 

・この夏に部屋や車や頭の中でずっと流れていたのは、ピチカート・ワン『前夜 ピチカート・ワン・イン・パースン』というアルバムで、最初から最後まで好きな曲ばかりだが、その中の『涙もろくなった。』という曲で小西康陽がうたう「昔より思いきり自分に甘くなった」というフレーズが気になり続けている。初めて耳にした時から、何かひっかかっている。自分の認識としては、自分が「自分に厳しかった」ことはないので、その意味では「昔より甘くなった」に共感するというのではないけれども、その自己認識のあり方をいいなと思っている。それは生きながらえるための思考であり、意識的かつ積極的にそのような状態を設定する意志とも考えられる。自分が何を気持ちよいと思い、心地よいと感じ、どこに、何に、誰に、生命の持続の場を設定できるのか。あるいは、どうすれば自分自身が、そのような持続に関わる事を束ねる器であることができるのか。「昔より思いきり自分に甘くなった」とうたう声から、そのような強い気持ちを読み取っている。すべてのうたはおまじないのようなものでもあるのだろうか。あるいは言霊の結晶。自分も時々くちずさむかもしれない。

 

昔より少しだけ 人に優しくなった

昔より思いきり 自分に甘くなった

昔よりずっと あなたを好きになってきた

 

いつのまにか 遠くまで来ていた

こうして生きてゆくの 後戻りはしない

何にもこわくない あなたがそばにいるから

いるから