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  映像研究

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・バジルは何度も新しく芽吹きいつでも強い香りを放つ。

 

・202007272142。帰宅中の京王線で書いてみる。TwitterのようなSNSが息苦しく感じるならば「エアリプ」のような種類のメッセージを目撃するからだろう。日々そうした言葉を読んでいる。しかしどれほど「自分のために」「仮に置かれたように」書かれた言葉にも密やかな宛先はあるかもしれないとも思う。自分の文章もまた無数の混線した先の宛先は想定されているが、なるべくならばそれが感謝のようなこと、というとあまりにも真面目に過ぎるから、小さな祈りのようなことであれば良いと思う。と善きことのように書いてみた上で、しかし同時にその祈りの小島の水面下には「事を正したいという欲望」があることも事実なのだろう。それらが分かち難く一つのことであるというところに何かの問題が立てられるように思う。中断。

 

・自分自身を投げ出すようにして書かれた言葉に対して敬意の念を送れたならば。

 

・全く梅雨明けの気配がなく、もうそれを諦めてしまったように日々を過ごしている。どうせマスクは外せないのだから、このままどんよりした気候が続いても構わないのではないか。そのような心情はなんなのか。何かの合理化の意識だろうか。新しい日常に洗われるように、あるいは低気圧のせいかもしれないが、これが正当な思考だという確信が持てない感じが続く。いつよりも不確定な状態を不確定のまま過ごしている。それは春から引き続きそうなのだとふと気づく。最寄駅に着く。