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  映像研究

声を出すとは

・202003302123。約12時間の業務を終えてぱっと見は平時の光景に思える京王線に乗りながらダイアリーを更新しても良い。月末なのでタイムカードを見れば3/15から休みがなかった。この日々がいつまで続くのか。仮にコロナがなかったとしても綱渡りの年度末だったがコロナによりルールも装備も更に厳しいモードに設定されている。しかもそのモードは日に日に難易度が上がるのだった。昨夜送られてきた連絡網には「なるべく声を発しないでください」というような内容の指令が書かれており、業務を行うこと自体の困難をあらためて思う。「プライベートでの飲み会等も自粛してください」というような内容の指令も書かれており、少しずつ生活に制限が加えられてゆく状況を考えていた。午前中に編集作業をしていたところで有名人の訃報が伝えられて騒然となる。景色が変わるのを感じた。「緊急事態宣言」という言葉が実感を伴って語られるようになり、またそれが民の方から求められる一連の流れを眺める。そうした宣言が現在の総理大臣から発せられることを何よりも恐れていたはずだったが、今は多くの人がそれを求めているということなのだろうか。ふと、この状況において自分はそもそも何を求めているのだろうか、と考えてみたが明確な答えを出せない。しかし考えることをやめず、組織の判断が自分の望む方向に進むように負荷をかけなければ、きっとこの先後悔するのではないかと思った。夕方に秘密結社のような会議。当該の組織においては確実に不要不急でない会議を異様なハイテンションでしている。このハイテンションとは何か。誰かが発した「戦時下」という言葉が醸し出すイメージが刷り込まれているのだろうか。あるいは都庁が常に見えている職場のロケーションが危機感を増幅するのかもしれないという説を提唱したい。作業が行き詰まったところで家族から連絡。手を止めて帰宅。帰宅している今。飲み会は自宅で静かに行う。