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  映像研究

見えない

・202003292036。不要不急の意味を掴みきれないままに土日の業務を終えていつもよりも確実に空いている京王線でまるでツイートをするようにダイアリーをと更新しても良い。京王線の車内を見る。色々なメディアで伝えられる情報、特に人数に関わる情報があるが、いま自分が見ているこの場所も、その情報で示された場所の一部なのだとあらためて思う。シートや手すりやつり革を見る。なぜウィルスは目に見えないのかと問うたならばそれはそれを指で摘み上げる能力を持たないからだという話は何の本に書いてあっただろうか。ウィルスとウィルスの気配を見ようとするほどにウィルスの予感が光景を覆う。写真を撮ることの困難を考えて、また展示をすることの困難を思う。それは自分の業務にとって重要な問題だった。この状況でなお「表現すること」についての授業を行うのならば、この現実に対して何をどこまで考慮すべきなのか。微妙で些細だが自分の仕事にとっては重要な判断が次々と襲う。そうした判断から逃れるように、世界が不幸に襲われてしまったときに、どんな表現が存在するべきか、あるいはどんな表現ならば存在することが許されるのか。そんなことさえ考え始めてしまった。そうして自分の平時の活動が不要不急だと認めることの大切さについても考える。そろそろ最寄駅に着くので中断。