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  映像研究

反省の時間

・202003181513。職場の近くのエクセルシオールコーヒーにて。水曜日は朝から語学学校へ。年度末だからテストがあり日常にはない種類の緊張を楽しみつつ終了。思えば「テストを受ける」という経験は5年くらい前に戯れに受験して相当辛い感触を得たTOIEC以来かもしれない。とはいえ今日のテストはあくまでも授業の中で行われる確認のためのそれという趣旨だったので楽しむことができた。テストという環境自体は楽しむことができたが出来については反省が残る。むしろ反省しかない。文法はまだ範囲が限られている分余裕があったが、単語の数と暗記の甘さ、そしてリスニングの不慣れさが失点につながっていたと思う。結局ぼんやりした予習よりも確実な復習をしないと今後定着されていかない。それを理解した。と、このように終わった直後にその感触を記しておこうと思ったのは、もちろんこの反省を生かして(精神に刻み込んで)また春からの、いやむしろ今この瞬間からの学習の糧としたいという強い気持ちによる。反省を言語化することの大切さ。しかもその反省を発話するとなお良い。最終的には笑いながら。

 

・笑っている場合ではないと思うのは昨日の面談で、自分が指導を受ける方の面談はいつでも自分の視界を広げ、同時に反省を促す。自分の研究と自分の労働と自分の生活のバランス、あるいは相乗的なものはいつでも不完全であり、この反省については簡単に笑える状況でもない。もちろん研究と語学も密接に結びついているのだが。「ともかく続けるしかない」と言ってみて、ともかく続けるしかないのは事実であるにせよ、その続け方をアップデートする方法をつねに模索しなければいけない。目下3月一杯は労働により消え去ることが想像されるが、もう少し研究の時間を創出しなければいけない。年明けに「在野研究」について書かれた本を読みながら少し自分の考えが更新されたように思ったが、それを自分の生活として生きることはなかなか難しい。しかし2020年度の目標はただひとつそこにあり、そして驚くべきことに2020年度はもうすぐ目の前まで来ていた。労働のために中断。