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  映像研究

雨の月曜日(寒い)

・202003021325。気がつけば3月。3月という響きは完全に春だから今年働いてくれたウールのコートや結局今年は働く機会がなかったダウンジャケットなどを「日常使わない方のクローゼット」に仕舞う。たとえば今日のように寒い日があっても基本的にはフリースやゴアテックスのシェルなどを活用してこれらの洋服を着ないと決めることが季節に対する、時間に対する態度になる。というほどの偉そうなことではなく「季節感ないですね」と思われることが悔しいがために、そう決めた。

 

・『君はそう決めた』のミュージックビデオはいつ見ても大切なことを教えてくれるように思う。あるいは思い出させてくれる。そういえばあの曲がずっと鳴っていたのは2011年ではなかったか。つながりが、とか言われていた生活の空間に「ひとりで/なにかを/しようとしてる」という言葉が鮮やかに響いた。いま、タイムラインを見ながら、開催する、中止する、自粛する、オンラインでやる、あるいは積極的にしない、というような話題を見ていると(そのすべてを気にしていると疲れてしまうし時間もとられてしまうからほどほどにしているけれども)、思わず「君はそう決めた」と声に出してみたくなる。「この町で/生きている/宿題を/しながら」「君はそう決めた/突然に」。

 

・「タイムラインを追うことに疲れてしまった人は、そっと閉じて、自分のために文章を書いてみてはどうでしょうか」という言葉がタイムラインに流れていた。それを拾って、読み、確かに、と思って、実際にそうしてみている。いま、作業の隙間の時間。

 

・もともと昨日と今日はひたすら自分のための時間だったから、予定通りに明日までにまとめる研究の報告の作業をしている。ひょんなことからいまの研究の体制に軌道修正的な出来事があり約10ヶ月。ふと、自分がテキストを読むときの仕方が変わっていることに気がつく。「たくさん読むこと」を諦めて、あるいはかなり意識的に「たくさん読むこと」をしないようにして、半年の間それほど長くもないただ一つの文章を気にしながら生活をしていたら、それまでの「文章の言葉をリンクのタグのようなものとして捉える意識」が相対化された。「この年で、」とかいう照れを挟む必要もないのだろうが、いずれにしても「自分の読む行為がアップデートされる」ことを実感することは面白く嬉しい。しかもそれはテキストの内容とも響いていたからラッキーだった(楽観的)。「主体を手放して客体に語らせるということ」、そのことを読みながら実践していたような感覚もある。そのような自分がおそらく今後論文を書くことになったなら、あらかじめ地ならしのように読んだ文章から拾ったキータームによってストーリーを仮構して、そのストーリーを今度はブルドーザーのように走らせながら結論を建設してゆく、そのような仕方とは別の書き方になるのだろうか。わからない。わからないなりに今はただそのことを楽しみだと思う。

 


君はそう決めた ( You Just Decided ) / 坂本慎太郎 ( zelone records official )