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  映像研究

時間の名前

・季節的に労働しているから「業務がさほど忙しくない時期」というものが毎年決まった季節にある。その期間には自分の研究・制作的な作業を進めつつ、次の年度に役立つような情報収集を意識的に行う。それを何と呼ぶか。「閑散期」という語があるが少し印象が違う。チームで仕事をしているからバンド的なニュアンスで「充電期」も良いかと思うが自分が電気で動いているようで微妙に違和感もある。休息でも休暇でもない。大学の教員であれば「サバティカル(研究休暇)」という言葉がある。サバティカルを自称してみようか。関係ないが「サバティカル」と言いたくて「サパティスタ」と言ってしまうことがある。「あの先生サパティスタなんだって」と言われた方もわけがわからない。いずれにせよ時間に名前をつけることでその意味が明らかになることもあるだろうか。

 

・まずは論文の作業を進めること。フランス語の学習を継続すること。そして写真の撮影を継続して作品としての道筋を探ること。映像制作の環境を知り最低限の知識をアップデートすること。作品を見ること。これを約一ヶ月半で「閑散期」の業務と並行して行う。欲張りすぎだろうか。書き出してみることでその時間の量が明らかになる。

 

・そうしてTODOリストだけが膨らむと頭に浮かぶのはブックオフの店内で流れている「じかんがーたーりなーい」という歌だけれども、本当に時間が足りない。先日同僚と「(あまりにも定型的であることも含めて後ろめたくはあるが)時間とお金を天秤にかけることの必要性」について話していて、それはもう仕方がないことなのだと悟った。時々思い返すのは「高校生の時に気に入ったスノーボードウェアを探しに神田に行ったが途中でダッフルコートも探したくなり渋谷に向かう、ただし面白そうだから徒歩で、なお結局その日は何も買わない」というような生産性も効率も何もないある冬の晴れた日曜日のこと。許されている時間は未だ訪れるが、あのような時間はもうない。あるいは書くことで許された時間を一瞬発生させているようなところもある。