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  映像研究

灯油を買う

・201912101600。自宅のデスクにて。家のふたつのストーブのための灯油を買いに近くのガソリンスタンドへ行きいま。帰りに公園で少し撮影。中央図書館へ行くことも考えたが家で作業をすることにした。先週の後半からの12月の業務の最初の山場を経て少しくたびれてしまった。くたびれている場合ではないのだけれども。コンディションを整えて来週以降に臨もうと挑もうと思っている。12月15日から滑り出せばそのまま30日まで、さらに滑り続けてそのまま2020年2月10日くらいまで時間が消えるだろう。それなりに生きているからそのことを知っている。

 

・寒さに備える。昨日は業務の前に渋谷のパタゴニアへ行きベースレイヤーを上下購入。10年ぶりくらいに買った。2008年くらいに購入した時にはキャプリーンの1.2.3.4という名称だったものが、姿形を変えて「クールトレイル」「ミッドウェイト」「サーマルウェイト」として並べられていた。それらの衣料品は冬の生活を快適に過ごすためのものであるが、同時にいつかまた山に行くための準備でもある。機能性を持った日用品はそれ自体が小さな祈りとして生活の中にある。山の風景が閉じ込められているかもしれない。

 

・職場近くの書店で田島列島『水は海に向かって流れる』の2巻を購入。漫画を発売日に購入したという記憶がない。帰りの電車の中で読む。簡単に描かれたように見える絵なのになぜこんなにも気持ちが動くのかと考えて、人物の姿勢に個性があることと場面ごとの表情特に視線に豊かな表現があるのではないかと思った。1m先を見る目と5m先を見る目と何も見ていない目の表情はそれぞれ違う雰囲気を持っているのだろう。そうした表情が描き分けられているように思うから、場所に人間が存在しているという感じが漂うのではないか。何かを見つめる瞬間が波のように押し寄せる。「知っている」と思う。

 

・10月に展示を見て注文していた一之瀬ちひろ『きみのせかいをつつむひかり(あるいは国家)について』という写真集が届いて、それを見て、読んで、また写真について考えることが増える。展示で見たよりも複雑な印象を持つ。それは「写真を見ること」「テキストを読むこと」が「写真/イメージを見る・読む経験」「テキスト/言語を読む・見る経験」へ解されて、結果的にイメージの隅から隅までを注意深く探索するようになるからだ。写真を見ることで、そのイメージに映し出されたこどもの身体のその周囲の環境を見ることを通して、自分が日々見ているイメージや、触れている物を捉え直すことにもなる。引き続き考える。