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  映像研究

思いの外

・201907211335。昨日で夏の業務の最初のタームが終了。いつでも「もっとやれる」と思うほどにはこだわってはたらいている。こだわってはたらいていると疲弊するのも事実だ。言葉を話すことによって思いの外疲弊している。この感じで8月末までいけるだろうかと震えながら。一方でそのことを幸福だと感じることもある。あることにしてみる。日記ですらない。言葉を取り戻すためのリハビリ。語学と投票のため中断。

 

・201907212256。TBSラジオの選挙開票番組を聴きながら。しばらくずっと考えながら今回は立憲民主党とれいわ新撰組議席数を増やして(与えて)欲しいと思い、その希望を反映させるべく投票してみた。結果はまだ出ていない。投票率の低さ、報道のあり方、SNSの問題、反省と希望と。戦略と解釈と。twitterのタイムラインを見ていると既視感。既視感で考えることをやめてはいけないと思いながらしかし自分もまた積極的に声の届く範囲ではたらきかけることをやめてしまった。やめている。毎回の選挙の結果以上に、10代、20代、30代くらいまでの支持や投票の傾向を見ると恐ろしい。

 

・「考えること」と「違和感を持つこと」を自分もやめずに、同時に他者にもそれをはたらきかけるには、どうしたらよいのか。表面的な趣味の違いを超えて、深いところで批判的な思考の種を蒔くにはどうしたらよいのか。どのような言葉であれば響くのだろうか。「学生」と呼ばれるような人と接している以上、そのことを事あるごとに(選挙の直後には特に)考えている。