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  映像研究

2019年の下半期(開始)

・2019年の下半期がはじまってしまった。寒い季節の年末差し迫った様子を想像すると遠くて見えない。それまでに論文を書き進めることができるのだろうか。いやできるのだろうかもなにも書くしかないと自分で自分に言い聞かせる。今週から緩やかに夏の季節労働と夏休みのせめぎ合い期間に突入するからその前に準備できることは準備しておかなくていけない。また中央図書館にも通う。

 

・健康について。職場で一回りくらい上の男性二人が「健康診断に行ったら医者にいつ死んでもおかしくないと言われた件」について話していた。興味深い、といったら失礼だがここ最近健康のことしか考えていなかった自分は深く考えさせられる。そして自分の生活サイクルを少し話したところ「それは最悪ですよ」と言われますます考える。「でもまだ若いから」と加えて言われるも「いや、別に、もう、若くもないです」と返答したことはさておき、自分の身体をどのように「使うか」という問題が浮上している。数日前に子供が雨の中を猛スピードで自転車で走り、停車と同時に飛び降り家へ駆けていく様子を見て、「あ、自分はもうこういう動きできないんだな」と思ったことを、どう捉えればよいのか。疾患ではなく、老いというほど深刻でない、衰えと言ってしまえば当然の変化。課題がひとつ増えた。

 

・書くことにも読むことにも話すことにも力を使っているという事実。過度な精神主義にも身体信仰にも陥らず(同じものだ)「健康」を保つことは意外と、というか普通にかなり難しい。それを学ぶことは今後のパーマネントな問題であり、2019年後半のリサーチ課題となるかもしれない。そう考えると少し楽しい。

 

・物欲について。物欲の記憶が刺激されると、デザインされた物を瞬時に判断する意識が日常に入り込んでくる(戻ってくる)。2ndという雑誌で少しだけ古い時代の車を特集していて、部屋でパラパラ読む/見る用に購入してみたところ、おそらくはそのターゲットの自分は中心であるのだろう。非常に惹きつけられる。友人にもVWゴルフ2をかつて所有していたり最近90年代のボルボを購入した人がいるが、そうした物に惹かれる理由の根源を示してくれているようで、良い特集だった。自分はずっと90年代のジープチェロキーに憧れがあったが今ならばもう少し現代に近いところでルノーカングーの初代あたりを雑に乗りたいと思う。

 

・同様に繁華街を歩いていると人が履いているスニーカーを見てしまう。いつでもデザインは20年サイクルくらいで回っていて、ある物に憧れながら育った世代がプロダクトを計画するようになることで再発され、それを新鮮に感じる世代との相乗りで、トレンドの雰囲気のようなものが形成される。それに乗るのはあまりにも安易だと自制しつつも「物を瞬時に判断する意識」ははたらいてしまう。あらゆるものが中毒の要因となりスニーカーも同様である。20年前に文字通りの意味で狂ったように購入したアディダスのequipmentの色々なモデルがデザインされ直して発売されているのを見ると、とても冷静ではいられない。「Feet You Wear」のロゴを見るとかき乱される。どうしたものか。