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  映像研究

たけのこ

・201904231130。業務の前のエクセルシールでのメモ。1日30分でも書くことを続けることをしようと思う2019春。そういえば土曜日は義理の実家(?)でたけのこを掘る作業。たけのこは食べるのも良いが掘ることが楽しい。たけのこを足の先で見つけることや、土に先端が出た状態から掘る方法を考えることも楽しい。アドバイスを貰うと途端にうまく掘り出せるようになることも嬉しい。楽しく嬉しい結果として食べることも美味しい。「姫皮の梅肉和え」が珍しくて望ましい。これが自分の家だったり敷地だったりすれば大変な作業なのかもしれないが、そうでないからこそレジャー感覚で楽しめる。土の硬さや柔らかさに触れる面白さも貴重。

 

・のびすぎたたけのこを見ると中平卓馬の写真を否応無く思い出す。

 

・職場の本棚にあまり読んでない本をまとめて持って行こうと思い手に取った『1985/写真がアートになったとき』が思いがけず今の自分にとって重要な本だった。日本における写真の言説の環境とは。また写真について考え書く上でどういう現実的な環境が設定できるかなど考えさせられる。知ったつもりでいた写真家や写真評論家の固有名が雑誌媒体やギャラリーを介して接続されることも新鮮だった。たとえば「1990年代の写真」というような枠組みでさえ、様々な視点から見られるはずだった。

 

・現場を、たとえば小さな寺子屋のような場所を「耕す」イメージを持つ。「映像」と言ってみたときに良いことは、それがあまりにも広すぎあまりにも動いているからで、だからこそその場所をマネージメントすることを意識したならば耕さざるを得ない。中断。