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  映像研究

写真と哲学

・のことを考える余裕もなく日々はすぎてゆく。「あれどうなりましたか?」という連絡が相次ぐ。「どうにもなっていません」とも返せず「どうにもこうにもいきません」は正直すぎ「どうしたらいいと思いますか?」と逆に聞いてみるか「どうでもいいんじゃないですか」は本当すぎる。「また連絡します」と返答するだろう。それは「あなたが連絡をくれたことを了解しました」ということでしかない。業務的連絡と連絡の業務化。

 

・それでも写真や哲学のことを考えるべくそういえば3月25日には東京工芸大学には「写真×哲学」というそのものそのままな団体が主催の「哲学・写真は現実を変革しうるか?」というシンポジウムを聞きにいった。思弁的実在論についてはいつも入門とそのおさらいを繰り返している。現代美術における写真の問題を経由することなく「写真」と「哲学」を接続することは難しいのではないかと思いながらも、自分もまた「写真それ自体から引き出される何らかの思考」について考えたいと思っていた。業務のため中座。中野坂上からバスに乗り南下して初台方面へ。

 

・昨日帰宅すると注文していた、FOUR-Dmagazineが届いていた。雑誌と思っていたけれども紙の束のような形態も面白くかつ美しい。ボードリヤールの写真について書かれた文章は少なく貴重だ。あるいは「写真(論)を学ぶ」ことについても考えたかった。読んで考える。