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  映像研究

朝、エクセルシオール

・201903260752。タイムカードを押すまでの少しの猶予。この時間にどこかの店の中でコーヒーを飲むたびに思い出すのはチェルフィッチュが10年(以上?)前に上演した芝居のこと。フリータイムという作品だった。自由な時間。その自由とは。朝の満員電車で「まいにちフランス語」のテキストを開くことは難しい。そもそも労働の最中で「まいにちフランス語」を勉強することは難しい。半年で71回の授業のうち、60回くらいは聴けただろうか。聴くだけでなく声に出したのはさらにその半分くらいなのか。大学入試に関わる業務をしていると「ある決められたレベルをクリアする」ということが自分の考えや行為を規定しているようになるのではないかとふと考えた。クリアしたからなんだというのだろう。語学の習得も論文の執筆もそうした「ハードルを越える」ような取り組みでは決してできない事柄だと思う。こなしたタスクを積み上げても生きた何かにはならないだろう。「何かになる」「何かにハマる」ようなことが必要とされている。自戒。