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  映像研究

無知な教師

・本を読まなければいけない、映像を見なければいけない、文章を書かなければいけない、それらは課せられている事柄だが、別の面白い状態を呼び込むために必要なことであり、つまり希望であり、蜘蛛の糸のようなものとしてイメージしている。とはいえいつもいつも読めるわけではない。業務の合間に一瞬時間が空いたとしてもその時間で集中して本を読むことは難しい。難しいのだからせめてと思って業務にも関係ある本を読みその読むことからこれまで考えたことのなかったことを考えてみる。

 

ランシエール『無知な教師』の「知性の解放」に近づくことが、自分のおかれている状況でいかに可能か。しかしこの春休みの間に考えていたことは、確かに知識の伝達でも二人羽織的な身体的矯正でもなく、もう少し違う「教える行為」についてだった。無知であること。無能であること。それがなぜ教えることに繋がるのか。しかしそれは「何もしない」ことではないことは理解できる。

 

 

無知な教師 (叢書・ウニベルシタス)

無知な教師 (叢書・ウニベルシタス)