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  映像研究

書き直す

 
・201811120918。中央図書館。週末の業務を終えて作業を再開。ふとカレンダーを見ると締め切りはわりと近い。だから少なくとも年内に論文の作業をするのはあと2週間で、特にこの1週間でほぼ終わらせなくてはいけないということに気がついた。びっくりした。


・言葉を話すこと、特に一人の相手に話すこと、カウンセリングに近いようなことを続けていると、どうしても文章を書くことが続けられない。講演のようなスタイルで言葉を発することならば良いのだけれども。これは言い訳だろうか。文章を断続的に書きながら、文章を書くとはどういうことかについて考えている。良い文章を書きたいと思っているが、良い文章を書くことと、良い研究であることもまた同じではない。もちろんそのどちらも不足している現状を反省して、なるべく集中して継続するしかないのだけれども。


・駅の蕎麦屋で流れていたAMラジオのパーソナリティーがゲストに「よいお年を」と声をかけたのに対して、「それは少し早いんじゃないですか」とリスナーの気持ちをなぞるように返していたけれども、確かに気持ちはどんどん「良いお年を」になってきている。毎年同じ内容の仕事を少しずつアップデートしながら続けているから、「たぶん、今年はこんな感じになるだろうな」ということが予想される。予想は大きく外れることはなく、しかし全然違った光景が展開される。


・書き直すことは難しい。いつも自分は学生に気軽に(でもないですが)「はい、書き直し」と言ったりするが、書き直す側はいつも、それが全力でやっていればやっているほど「こう以上どうしたら良いというのですか」という状況になる。だけれども、たぶん書くことの重要なことは「書き直す」ことの中にある。それは「ちゃんと読む」ことを伴うのだから。そんな当たり前のことに、いつも驚きながら、驚けることを有り難いことだと思いながら、しばらく続けてみる。続けることが許されるならば。


・いつも「ここが終わりかもしれないな」と思いながら、少しずつ更新している。中断。