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  映像研究

宿題

 
・201809011353。宿題が一向に終わる気配を見せないままに気が付いたら8月が終わっていた。昨日は8月の最終日。久しぶりに業務へ。今年は業務にいかに深入りしないか、というか、業務の中でいかに自分のプレーに集中するか、というようなことを掲げようとしていたはずだったが、そんなことはそのようにうまくいくはずがなかった。巻き込もうとした分だけ(それよりも多く)巻き込まれていく。いつだってそれはそうなのだ。「やる」ということは「すべてをやる」ということになる。いつか一緒に仕事をしていた人が言っていたことを思い出す。当然のことではある。年齢的にもそうなのだろう。だけれども。


・その「だけれども」の一つの部分について。業務終了後には夕立の後の新宿駅から中央線へ乗り換えて西荻窪へ。8月全然会えていなかった友人と飲食。「つもる話」を積もらせる系の飲食は、そのまま宿題の提出でもある。自由研究のプレゼンテーション大会。偶然店の前を通りかかった夫妻も参加したりすることも面白い。映像と、教育機関と、活動と、読書と、その他何かについて。「邪道」と思われる子ようなことの中にある、その他何かについて。考えることはあるし共有できる問題もある。翌日以降のことを考えて終電で帰宅。


・それで一日空いて中央図書館にインしている。そういえば数日前に「はてなダイアリーが終了」という記事を読んで、少しだけ感慨を持つ。悲しむほどではない。よく行っていたカラオケ店が閉店するくらいの心持ちでしかない。URLも住所と同じで書かなくなれば思い出すことができなくなるだろう。変化することも好きだが、積み重ねられていくことも好きではある。夏に久しぶりに会った友人が、mixiに書いていた文章を全部プリントアウトしてみたら案外面白くてそれを読んでいる、という話をしていて、なるほど、確かにそういう面白さもあるかもしれない。中断。