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  映像研究

20170818

 
・また別の時間になった。201708181101。市立中央図書館の閲覧コーナー(勉強コーナー)でテキストを書きながら、論文を書く作業を再開しようと思っている。小さく、大きく、何度でも再開する。何度でも新しく生まれる、とモンドグロッソのアルバムのタイトルだけれども、その言葉の響きのようなことはいつも考えている。「新しさ」を時々思い出す。


・先週の週末は海へ行く。海へ行くつもりじゃなかったと積極的に言いたい。やや微妙な天気だったけれども結果的には真っ黒に焼けた。葉山の海の家を堪能した。いつか葉山の海の家でビール飲んだりすることもあるのかなと思っていたような、想像の中の時間は突然やってくる。山と比較するまでもなく海の良さ、海の奇妙さ、海の輝かしさがある。夏のビーチはかなり多様な者を受け入れてくれる。


・そんな夏の海の感じを引きずりながら今週は基本的に業務。業務が始まると言葉を発する何者かになるが、言葉を書く意識が立ち上がる余地がない。単純に何かを発散し過ぎてしまう。もう何年も同じことをやっていてもやはり同じような状況になってしまう。並行して自由研究をすることは本当に難しい。


・だからこそ言葉を書くための装置を利用する。自分のための言葉を書く。誰のために伝えるためでも、ましてコミュニケーションのためでもない言葉を書くことから、いつも何事かを始めてきた。その行為がある枠組みを作り、また自分にドライブをかける。そういう状態になって研究対象とするテキストと遭遇した時に、初めて何かが触発される。写真にとっての風景や事物と出会う感覚に似ているかもしれない。中断。