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  映像研究

10年


・10年がたった。


2007年の3月20日にふと思い立って書き始めた文章の続きがいまこうして書いている文章だ。ふと思い立って何を書こうとしていたのか。2007年の3月20日に思い出したのは、1995年の3月20日のことで、その固有の日付は、中学校の卒業式だった自分にとって意味があるのと同時に、この社会の年表には「地下鉄サリン事件」が記されているだろう。そういう時間がかつてあって、そして「いま」はその続きにあるのだという当たり前のことを、しかし時々は確認しておきたいと思った、思ったそのことは一つの理由、いやむしろそれらしい口実のようなことであって、本当は「書く」ということをしたかった。「書く」ということを再開したかった、それはそれこそ1995年のようなある時期に物質的なノート(無印良品のものだった)に何事かを書く、書くことが書くことの練習であるような書くことをしていたことを、オンラインでどのようにならば再開することができるか?というだからそれはたぶん小さな実験であったのだと思う。その実験のために「そして」という語が必要だった。


・10年前にはMacG4でこの文章を書いていたのではなかったか。渋谷区桜丘のマンションの3Fで。曇った窓ガラスを前にして。G4のキーボードをパンパンと叩いていたのかもしれなかった。少し前にも思い出そうとしていたけれども、やっぱり2007年の春のことをまったく覚えていない。覚えていないくらいどうしようもなく退屈だったのだから、このような文章を書こうとも考えたのかもしれなかった。文章を書いてみて、何かをわかったようにも思って、なにかの考えが少しずつあるいは一瞬で変わって、そして具体的な行為や行動となって何事かがなされる。あまりにも当たり前の「人生上の」様々な事件や出来事もあるのだということを知る。振り返っても特に何もない。人生上の出来事としてはどんどん人間が現れてくるのに反比例して、テキストからは具体的な他者が消える。例えばいつかは、そのことをリアルが充実していると考えてみたりしたかもしれなかった。


・それにしてもあらゆることが変化して、しかし変わらずに継続していることもある。macG4あるいはpowerbookG4で書いていたのは、その後imacmacbook、macbookpro、そしてipadへ。しかしそうした変化の中で、とりわけ同じ「業務」を続けていることは奇跡に近い惰性だ。その自分の「飽きなさ」に対してポカンとしてしまう。少し前のこの文章には「2017年の3月20日は静かに考えよう」などと書いたにも関わらず、実際には朝から夜まで業務であり、事もあろうに業務終了後は業務上関わりのある人たちと箱状の歌唱施設に行くという、世界で一番呑気な祝日を過ごした。それこそが今の自分であることを、しっかり自覚しつつ、春からの生活をマネージメントだかコントロールだかしようと(強く)思う。少し反省している。歌唱のクオリティも含めて。


・それで今日は通っている大学に行き、通っているというのは仕事をしているわけではなくて、学生なのだった。学生として指導教官と面談をして、何事かを正す。「この感じで続けていても良くないな」ということが完全にわかって、完全に何かがわかることは嬉しいことではあるけれども、嬉しいとかそういうのんびりしたことでもないのだから、ジャスト、ドゥ、イット。コンディションも環境もまったく悪くない。むしろ「これでだめだったら言い訳できないな」というくらい悪くない感じになってきてしまっている。そして、そういう自分のコンディションを、2017年3月20日の備忘録として記す。